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預言の意義と力

私は預言そのものを否定するものではない。それどころか、預言は新約の務めにおいてはもっとも重要である。問題はその中味である。これについてはこちらを参照のこと。

・預言の霊的機序
http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/Articles/prophecy.html

もし神が日本で何かをなさるとしたら、第一にまず日本人に語ることであろう。わざわざアメリカの「油注がれた器」を経由する必要はない。この点でもすでに神の新約の方法からはずれている。ちなみに今回の「大リバイバル預言」の人々は「カンサスシティの預言者たち」と呼ばれ、一部では"Extra Bible"と評価されている。つまり聖書から逸脱する"預言"をしばしばしている。詳細はこちらを参照のこと。

・Christian Apologetics(カルト異端に関する文献集)
http://www.apologeticsindex.org//b56.html

聖書には「また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。」(ヘブル8:11)とある。

ニッポンキリスト教のクリスチャンがまず主の前に単独者として自立し、主から直接に言葉を受け、それを語り出すこと―これが真の預言であり、そのときに神がみわざをなさる準備が整う。はっきりと言うが、その準備はまだできていない。依然として教界では「甘えの構造」で、砂糖まぶしの説教と人間関係が支配的。甘言にはアーメンであるが、少々の辛口には「傷ついた〜」とか、自分はアダルトチルドレンでの言い訳で、十字架のキレがない。果てしない「自分は、自分が、自分の」であり、自己愛の温床と化している。互いに神のVIPとヨイショしつつ、当たり前が当たり前でなくなっているのがニッポンキリスト教である。

ネットを見ていると、これまでも、ベニーヒンが2003年に大リバイバルが起こるとか、シンディ・ジェイコブズの北と南からサンドウィッチのようにリバイバルの炎が包むとか、2004年に起こるという預言もあるらしい。この手の"預言者"の言葉には真の霊的な内実がない。言葉が空疎である。

今日本に必要な預言は、キリストのいのちの内実を伝達する、もっと重い、身の詰まったことばである。「油注がれ器」の「預言」をいただく前に、もっと深い聖書の御言葉の学びに入ることである。神はひとりひとりに御言葉をとおして語りかけてくださる。そして実はリバイバルはすでに起きているのである。信仰は「すでに得た」と証しする。リバイバルはいのちであり、いのちは十字架による。

神は今こう言われる:「真のリバイバルを求めるのであれば、あなたには十字架の覚悟があるのか?」

私も神の霊を得ていると思う。