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オトナになれない・ならない人々

私が意に反して教会を開き、バイブルカレッジを開くことになり、実に多くのニッポンキリスト教の方々と接することになった。その率直な感想を一言:

要するにオトナになれない、あるいはなりたくない人々があまりにも多いことに驚く。自分の人生の責任を放棄し、あなた任せ、センセイ任せ、悪いのはすべて他人であり、自分は哀れな心の病に苦悩している、こんな自分を理解して、受け止めて、受容して、愛して、慰めて、哀れんで、同情して、自分は何もできないのです・・・・。

こうしてあちこちさまよっているジプシークリスチャンの多いこと、多いこと。あのセンセイはこうこう、あの教会はこうこう・・・。やれやれ、聞きたくもないウラ話をどっさり聞かされている。彼らの話の時間が90%、私が話す場面は10%。しかもちゃんとウラではこそこそ耳打ち話をひろめている。

どこまでが本当でどこまでが脚色か、このような話は心に残しておくとロクでもないことに巻き込まれるので、私は右の耳から左へと流してしまう。言い訳と自己主張がとれて、人の話に耳を傾けることができるようになる人は変わっていく。

ビョーキのせいで信仰がもてないのではなく、信仰を持たないからビョーキなのである。人には自由意志がある。最後は自己責任を問われることにいつになったら気がつくのか。