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金太郎飴からの解放

KFCのメンバーのAさんが、ある牧師に「KFCに定期的に参加している」と言うと、その牧師いわく、「もっとオーソドックスな教会にした方がよい」。Aさん、「アーソドクスな教会って一体何なんでしょうね」と。

私はメッセージでも語っているが、私たちは使徒信条の告白から始まり祝祷で終わる式次第(プログラム)は一切排している。1回1回、主の導きのままにセレブレーションが進む。それは宗教儀式ではない。私たちは宗教をしていない。よって一昨年より昨年、昨年よりも今年、というようにセレブレーションのあり方も臨在の濃度も変わってきている。

オーソドクスな「金太郎飴教会」はこれまでニッポンキリスト教の規格品を大量生産してきたが、しかし伝道にはむしろ障害となってきた。誰しもつまらない窮屈で退屈な礼拝に貴重な休みの日曜日をつぶしてまで参加したくはない。眠たくなる牧師の説教などは、校長や社長の訓示で十分である。

私はメッセージでも語っているが、「ニッポンキリスト教非公認規格外教会」を目指している。しかし私たちのセレブレーションに参加している人は証しして下さると思うが、主の臨在はますます濃厚になっている。いつまでもハズレ・クリスチャンでいたいと思っている。

ただしこれは絶えず主だけを見つめ、主に付き従うことをモチベーションとしていないと、ついていけなくなる。ヘブル人の意味は「川を渡る人」の意味である。アブラハムのように自分の快適な領域を出て、過去を忘れ、前へ、前へとキリストだけを追求する人が、まことのヘブル人である。