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メタの病理

今年は何の因果か、英語を持たされている(いいのかなあ〜?)。小生一応読み書きはできるが、実は英語はあまり得意ではない。駿台の伊藤和夫先生の「700選」(年代が分かるが、今もある)で少し自信をつけたが、使い手ではまったくない。

今もFENやDVDの映画の英語字幕でナチュラルスピードのピックアップを訓練中。専門的な話やニュースなどは容易に理解できるのに、日常の簡単なことば(特に米語)がなかなか拾えない。たぶん英語で幼児体験あるいは英語の幼児語を経験していないからだろう。

面白いのはハリウッド映画も60年代の英語はとてもきれいである。例えば「ベン・ハー」など。発音も明瞭でかなり聞き易い。70年代位まではかなりいいが、80年代に入るとガクンと乱れる。特にひどいのがスタローンの英語。イタリヤ系の訛りがあって、言葉も汚い。シュワちゃんはオーストリア訛りで、カッペであるのが分かるが、むしろ聞き易い。ブッシュの英語は実はかなりクリアだ。腹が立つが。

ところでCMで面白いのがある。ぬいぐるみを着た英語のティーチャーが生徒たちに「え〜と、I have a book.」と言うと、生徒たちも「え〜と、I have a book.」と物真似する。すると先生「『え〜と』はいらんよ」と言うと、生徒たちも「『え〜と』はいらんよ」となり、こんな英語を習う前にNOVAとなるわけである。

今日の講義ではまさにこれ。"equipment"の発音が分からないと言うので、「イー、キュー、ユーだから、イクウィップメント」と言うと、学生「イー、キュー、ユー・・・」とやり出す始末。

"I have a book."を説明する英文法は日本語になるわけだが、このように言語を説明する言語を「メタ言語」と呼ぶ。上のCMはメタ言語と元の言語の混同があるわけ。わが学生も同じ。でもあまり彼らを笑ってもいられない。

聖書の御言葉はひとつはロゴスとして、客観的真理を説明する機能がある。それに対して御言葉が御霊によって直接的に語られるとき、レーマとして、すなわちいのちとして経験することができる。御言葉の主観的経験である。

対して神学はちょうどロゴスなる御言葉を日本語で説明するものであり、要するに英文法のようなもの、「メタ言語」である。それ自体にはいのちはない。英語圏の人が英語を理解するのに英文法は必要がなく、直接的に英語を理解するのと同様に、内なる霊は御霊によって照明されて、直接に御言葉の真理を直覚する。ところがこの御言葉の直接経験をすることなく、メタ言語の神学の世界に入り込んで、ケンケンガクガク。ニッポンキリスト教徒は議論がきわめて好きな人種である。

御言葉はもちろん理解することも大切であるが、まず霊の食物として食べること。反芻する動物は聖なる動物であるが、われわれも何度も何度も御言葉を反芻することである。羊は牧草の栄養学は知らないでも、食べることで成長できる。われわれイエスのひつじも同じ。霊的栄養学を理解する人は必ずしも多くはないが、御言葉はまず食べればよい。

5千人は食べて満足した、とあるとおりである。