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試験と言うもの

本日は花の金曜日でしたが、午後は営業。高校を数校訪問。こうやってあちこち回って見ると、私立校はとても対応が良いのに対して、県立高などはダメですね。特に大したレベルでもない中程度のところが何とも教師の質が悪い。

下の鈴木宗男氏の本によると、官僚の質の低さがこれほどまでかと溜息が出るほどだが、彼らは東大法学部を出て、国家公務員T種(昔の上級)や外交官試験を通っているエリートなわけだ。いわゆるキャリア組。彼らはこの試験の成績のみでほとんど人生を運命付けられる。

しかし年齢と共にイスが減るために、外へ出される(あるいは、出る)。これが天下り。うまく大学の教員とかになると平和に余生を送れるわけ。かくして数年間づつ関連の諸団体を渡り歩くと、退職金だけで数億円の手にすることができる。しかしその道に乗れなかった人々は、延々と働けど働けど年収数百万程度で呻吟する人生を送る。明日の身も補償されぬままに。

つまりはニッポンはそのようなシステムになっているからだ。その「物差し」はひとえに試験の成績。若干18,19歳での試験が後の全人生を決める。私は受験競争を否定しないし、実際もっと競争を過酷にすべきとも思っている。いわゆる「ゆとり教育」で学力が惨めなほどに落ちているのが現状。勝った者がそれなりの待遇を受けることも大いに賛成だ。が、今のニッポンは勝者が落穂すらかっさらっていくのだ!金も、地位も、さらに機会すらも。

イザヤさんのリンクを読みますと、司法試験の勝ち組による司法運営がおかしくなっていると指摘されていますが、まさにそのとおり。結局は法理論の運用技術の前にそもそもコモン・センスが欠如しているわけ。あるいは今回の21名の弁護士たちのように、コモンセンスを欠いて法理論の運用技術だけになる倒錯現象が見られる。そして今回の検事長までやった緒方元長官の詐欺事件。元特捜検事の川上氏が、解せませんねぇ、と頭を傾げていたが、前代未聞の事件。

山谷さんによると、神学的には法的衡平感覚としてのコモン・センスは神が与えたものとされるらしいが、人間であれば誰もがフツウに持っているはずのコモン・センスが、どうも誰もがフツウに持っていないようなのだ。そして勝ち組と言われる人々に特にこの欠如が目立つ。試験を潜り抜けたために磨耗してしまったのか、そのようなものを持たない者が試験で勝ち得るのか、鶏と卵みたいなものだが、とにかく欠如している。

そしてこれはニッポンキリスト教においても言える。牧師らがオカシイでしょう?神学だとか、リバイバルだとか叫ぶ前に、コモン・センスの涵養こそが今必要なのではないだろうか?まあ、再建主義のように自然法を認めないと言うのであれば、これはもうどうしようもないわけだが。

大脳生理学的には、知・情・意のバランスに他ならない。つまり大脳皮質・辺縁系(偏桃核)・前頭葉連合野のバランスの取れた活動である。どうも官僚の世界も、ニッポンキリスト教の世界も、試験勉強や神学勉強において先鋭化することにより、この絶妙のバランスがどこか壊れてしまうようだ(→「閉鎖社会の共同幻想に思う」)。前から牧師たちの人格テストを行ってみたいと言っているが、ついでに官僚や牧師らの脳機能のテストをしてみたいものだ。

Commented by Luke 2007年06月30日(土)18:05

富める日本の現状。一度落ちるとどん底までとか。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/poverty/story/20070630jcast200728795/

Commented by zion 2007年06月30日(土)19:20

ふるさと納税早期導入要請
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070630-00000211-yom-pol

ふるさと納税トンデモ度
http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_8cd7.html