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本当に必要なもの

BBSである方が、究極にはイエス様と御言葉に行き着く、と書いておられた。まことにそのとおりであり、言い換えると、イエスの霊である内なる御霊と、イエスの言葉である外なる聖書(御言葉)で十分。

次から次へと新説や新しい霊の流れとか、ミニストリーやテクニックが現れては消えしている教界を見ていると、結局は「掴んでない」ことが分かる。こうして教えの風に吹き回されている。

人間に真に必要なものはそれほど多くはない。自分が本質的に必要としているものが、実は分かっていないから、「掴む」ことができない。そしてアチコチさ迷う。かくして、「あの先生はかくかく」、「このミニストリーはしかじか」・・・不要な知識を一杯詰め込んだ耳年増は増える。ちなみに私はクリスチャン・メディアはまったく読んでいない。

ジョージ・ミュラーは言っている、「若い頃はあれこれ種種雑多な本を読み漁ったが、聖書を読んでいなかった。今は聖書を読むようになって、他の本は読まなくなった」と。無人島に流されるとき、ただ聖書1冊を持っていけば十分だと、どなたが言っていたが、リバイバルのための備えは、実は捨てることにある。これまで仕込んできた不要な物を捨てること。そのとき聖書だけが残る。

BBSでのカキコを繰り返すが、リバイバルの"リ"に戻ること。"リ"とは「初めから聴いていたこと」に他ならない。

コロサイ2:9−10
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。

このキリストがすでに内にいます−ハレルヤ、あなたには何か欠けているものがありますか?NO,すでに十分です。

 You are MORE THAN ENOUGH, Jesus!