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行き着く先は?

私がマイコンに手を出したのが、78年。大学の生協にあったシャープのMZ-80Cがスタート(当時28万円!)。8ビットのCPU・Z80で、クリンコンピュータとあるとおり、中身は空で、言語をその度に読み込ませては使った。メディアはオーディオテープ。メモリは最大64KB。今ならちょっとした絵のサイズ。それでもこのメモリ上でBasicでFFTのプログラムを書いて、スペクトル分析をしたものだ。

次の機種はEpsonのハンドヘルド。CUPは同じだが、CP/MというMS-DOSの原型となったOSが走り、その上でBasicとZ-80のアセンブラで株価分析ソフトを作った。CP/MのBiosをCallしてメモリ上にグラフィックの仮想空間を作って、ドット・グラフィックを描いた。これでかなり使える株価分析ソフトとなり、バブル真っ盛りでもあり、今のマンションの頭金を作った。なにしろ32KBのユーザーメモリ空間のため(感覚的には1畳の部屋)、プログラムにかなりの工夫が要った。その代わり中身はみな分かっている。

次がEpsonのPC98互換機。すでに16ビット+MS-DOSの世界。この辺りからメモリ空間も640KBとなり、すべてを把握することができなくなった。この中身が見えないのが何とも不安なのだ。今でもWindowsに穴を開けて、中身を見ながら使っている。で、32ビットの世界となり、メモリ空間は一挙に1GBとかになった。"1畳の部屋"にいる頃はそんなメモリ空間はほとんど無限大で、一体何に使うんだよ、と思ったものだが、実はこれがすでに狭い。

HDDでは120GB、否、テラ(T)の時代。97年にそれまでのMS-DOSからようやくWindows95に変えた時にはHDDは1.2G(私は世の流れには逆らう方)。隔世の感があるが、これがDVDビデオの編集をするとなると、すでに小さい!おそるべし。大体ネットで自分のPCをサーバにして中身を公開することなどは誰が予想したろう。ウイルスやスパイウエアなどはSFの話だったが。Epsonが300ボーの音声モデムで通信実験を開始した時、私も参加したが、ピポピポと文字が現れたときは感動した。あの時代はほとんど亀の歩みののどかさだった。

IPv6の時代になると、すべての機器(クレジットカードなども)にIPをふって、個人の行動を追跡できるようにもなる。サンドラ・ブロックの映画そのもの。同時にPCやネットの発展と同時に人間の病理性もモロに出てくるようになった。さあ、人類はどこへ行き着くのでしょう?