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まことの推薦状と資格

ニッポンキリスト教で「素性」や「系列」を問題とするのは、実はニッポンキリスト教の霊性を証している。もっと言えばアイデンティティの確立のし方が間違っているから。センセイやケイレツやキョーダンの上に建てている者はその領域内でしか判断ができない。よってそこから外れることを恐れる。しかるに、パウロは明確にこう言っている:

2コリント3:1-6
私たちはまたもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた推薦状とか、あなたがたの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

私たちは人ではなく、神に仕えるのであり、その資格は神に由来する。それは霊が証する。