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砂の上に建てしが・・・

北朝鮮拉致被害者のドキュメンタリが面白かった。特に、蓮池さんは帰国当時自分自身を「北の公民」と呼び、蓮池さんの兄や友人が北朝鮮に批判的であると、懸命に弁護したとのこと。実に面白い。自分を拉致した国を弁護する!?

よく似た事象に誘拐の被害者が加害者にある種の心を寄せる心理をストックホルム症候群と呼ぶ。ニッポンとアメリカの関係も同じ(かな?)。さらにカルトから離脱した人々が、そのカルトへの批判に対して怒り出し、また弁護することもよくある。身近なところでは、私がニッポンキリスト教をしばしば批判することに対して怒り出す人もいる。私は決して特定の対象を批判しませんし、雲のようにあちこちに浮かんでいるおかしな教えや実行を批判していることは前に書いた。

お分かりでしょうか?これらの不思議な現象のメカニズムが・・・。これらのケースで起きている現象は「同一視」の精神病理。ヒントは、蓮池さんの場合も、周りの人が北を批判すると、「俺の24年間は無駄だったと言うのか!」と激昂したとのこと。何を弁護していますか?・・・ストックホルム症候群でも自分に害を与える犯人と共に過ごした自分を犯人と同一視する結果。カルトでも同じ。私の場合も同じ。

分かりますか、そこにおいて守っている対象は誰か?彼らは誰を守ろうとしているのか?・・・自分、です。偽りの上に何かを建てていることは客観的に見れば明らか。しかし当人はその土台はすでに視野にない。その上に建てている自分を見ているだけ。その自己を守ろうとしているだけ。

しかし主は言われた:自分の魂を救おうとすれば失う、と。砂の上に一旦建てるならば、実はそれを守ろうとして、時間と労力を消費する。かくして新しい物を建てることはきわめて困難となる。手放さないからである。捨てれば得るのであるが・・・