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社会制御工学vs真理

一昨日の日記に対して、「自由・平等・博愛は悪いことなのか。これらは人類が長い歴史を通して獲得したものである。」とのご質問をいただきました。

おっしゃるとおりです。これらの価値観とそれに基づく社会システムによって私たちは今の恩恵を得ています。北朝鮮に住むことよりはニッポンに住むことのほうがはるかに恵まれています。

しかしこれらの価値観は真理そのものではありません。またこれらの社会システムの実現を目指すことが神の国の拡大でもありません。これらの価値観は「社会制御工学」として現在もっとも優れていると言えるでしょうが、それ自体は真理ではないのです。

神の国はキリストのいのちとキリストの統治です。まず私たちの心の中から生まれ、育ちます。しかも神の国がもっとも純粋に拡大するのはしばしば迫害の中においてです。そのひとつの証拠が中国のウォッチマン・ニーらの働きでした。

ウォッチマン・ニーは<自由・平等・博愛>の恩恵を、あえて神の国のゆえに放棄したのです。不自由の中に自ら幽閉され、自分自身の壷を割り、自分をナルドの香油として注ぎ出したのです。<自由・平等・博愛>にまさって、クリスチャンが大事にすべき何か―これが真理です。

「キリストは神の御子であられる。彼は人々の罪を贖うため死なれた。そして3日後によみがえられた。これは、宇宙における最も大切な真理である。私は、キリストを信じながら、召されて行く」−ウォッチマン・ニー