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主こそ道

私たちは目先の問題や困難に見舞われるとき、人や、方法や、手段を頼りとします。そしてそれらに希望を置けないと、道が塞がされたと感じ、絶望感や抑うつ感に落ち込みます。しかしそのようなものを探し続ける限りは道は開かれません。ますます閉ざされるように感じるでしょう。

イエスが「わたしが道である」と言われたように、イエスを見出す必要があります。方法ではなく、お方(パースン)です。主は私たちが耐えられない試みに会わせることはありませんし、しかも逃れの道を用意して下さっています。さらに「わたしは誰にも閉じることの出来ない扉を開いておいた」と語って下さいます。主がなさる時にはラクダも針の穴を通るのです。

じっと静まって周りをよく見れば、アブラハムのように備えの羊を見つけることができます。「主の山に備えあり」です。