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人民の、人民による、人民のための・・・

先の番組の中で鳥越俊太郎氏が「アメリカ人は個人的に付き合うとナイスガイだが、国家になると怖くなる。自分と異質な存在を許すことができない国家だ。」とコメントしていた。

私的には、ナイスガイが集団になると怖くなるのではなく、アメリカは初めから二重構造だからと考えている。例えば日本に原爆を落としたのはアメリカ人の総意によるものではない。ベトナムもアフガンもイラクもしかり。

国家の意思決定をする者は常に少数者である。彼らの自由な意思決定と行動を疎外しない社会システムが、いわゆる民主主義であり、<自由・平等・博愛>である。彼らは一般大衆のためにその標語を守らんとしているのではなく、自分たちの利益のためである。実際、アフガンもイラクも新政権はアメリカの傀儡政権に過ぎない。去勢されたニッポンの再生産である。

ナイスガイのアメリカ人もナイーブにも泳がされているだけである。実際、ある種の組織の真実を暴いた牧師は100人をレイプした嫌疑で不当逮捕され、しかも監獄で刺されている。アメリカの陰のアンタッチャブルに触れるとかなりヤバイことになる。番組の最後でタケシが「俺は殺されたくないから、アメリカ大好きだ」と冗談を言っていたが、必ずしも冗談ではないのだ。

Commented by スカイ 2005年01月04日(火)02:39

ルーク先生、こんにちは。
「日記をそろそろやめようかと・・・」というのを拝見し、残念に思いましたが、続けて下さると聞いて安心しています。
ほぼ、毎日拝見し、とても、参考にさせていただいています(とくに、精神病理的な視点からの解釈など)。これからも、期待しております。
この1年も、お体に気をつけられて、素晴らしい、さまざまなコメントをよろしくお願いします。