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一言映画評-Mr.インクレディブル-

Salt氏推薦のコンピューター・グラフィクスによるアニメ。スーパーパワーを持ったMr.インクレディブルは、そのパワーで社会正義のために働くが、世間からは逆に悪評価を得る。そこでそのパワーを秘密にしつつ、スーパーパワーを持つ女性と結婚し、子供を3人もうけ、隠れた生活を送る。

が、それでも普通の暮らしに飽き足らず、過去の栄光をもう一度とばかり、こっそりとパワーを用いて働く。しかし夫婦の関係はもつれてしまい、子供たちも少々グレ気味。ところが彼に嫉妬する悪役(元々はMr.インクレディブルのファンだったのが、裏切られたと感じ、敵になった)と家族ぐるみの対決をする中で、家族の絆が回復されるという物語。

メッセージとしては、スーパーパワーなどを持つとかえって不幸を招くこと。普通の当たり前の生活が大切。かつてそのパワーを誇ったMr.インクレディブルも、ある瞬間に自分の弱さに直面し、妻に対して「自分は弱いから君たちを守ってやれない・・・」とささやくと、妻はその真実に触れて夫婦の絆を深めるシーンがジーンとくる。

教界でも、霊的能力や賜物を誇る人々がいるが、彼らの家庭生活はしばしばあまり幸福なものではない。当たり前を当たり前に、普通の人としての普通の生き方が大事。私の友人はこの15年間福島の山の中で、「北の国から」の黒板五郎的に自分で家を建てて、原始生活をしている。彼も言う、「凡庸であること。イエスは30年間、普通の生活、隠れた人間生活を送った。これが神の目に大切なんだよ、兄弟」と。ものすごく励まされる言葉である。

Commented by Salt 2005年01月15日(土)12:45

ご覧になったんですね。

「推薦」ってほどでもなかったんですが、「パッション」について書いたときは、かなりの反響があったんで、あんまりセンセイ方が褒めないようなものを褒めてみようというちょっとした天邪鬼もあったのですが、ある種の鋳型にはめられて生きている人たちは、「霊的な人は、こう感じないと駄目。」みたいな脅迫観念に慣れることを信仰だと思っているような気がします。

私は、そういう意味では、意図的に「子ども」でいたいのです。幼子のように、「王様は裸だ。」と言うでしょう。
叫ぶ為の大通りを探し始めたら、もはや子どもの所業ではないので、たまたま見かけたら、これからも、思ったとおりのことを言います。

主人公がもてあますスーパーパワーの使い方は、すべてのクリスチャンの賜物管理の問題にもわかりやすく触れているように感じました。(制作者の意図でないところが霊的なんですね。)

「教会」という家族関係を逸脱した自己満足のためのスーパーパワーは混乱のもとだということです。

霊的でない人が、霊的な世界を描こうとすると、かえってグロテスクで醜悪なものになるのですね。

何の意図もないアッテンボローやパーキンスなどの自然や動物の記録映像が、ときどき一番霊的に見えたりします。

Commented by Luke 2005年01月15日(土)21:10

推薦して下さってよかったです。家内と一緒に楽しみました。「パッション」はなぜかDVDでも見る気がついに起きません。あれでニッポンにリバイバルが来ると叫んでいた人たちもいましたが、理解できませんね。