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「愛」による政治?

アップロードファイル 111KBいよいよ政局が動き出した。前にクリスチャンに政治など任せることはできないと書いた。ニッポンキリスト教的「愛」に基づいた政治などは、共産主義と変わりはない。聖書的社会主義の窮屈な窒息した社会にできるに違いない。それこそビョウキの人を大量に産み出す聖書カルトである。

政治も経済も自己利益の対立のダイナミクスによって動く。「国民のため」などというスローガンは表向き。今後のニッポンを占うに、二極分化がキーワードとなる。上位と下位にキレイに分離する。現に97年にIMFが入った韓国はそうなっている。儒教の国が勝者と敗者に別れた。カンコクキリスト教は真理からずれ、ご利益信仰と化している。中国も貧富の差はますます開いている。

そしてこれは聖書の真理なのだ:持っている者は益々豊かに、持っていない者は持っている物までも取り上げられる。これを均そうとするニッポンキリスト教的「理想の愛の国」−相当に気味の悪い国になる。想像してみよ、あなたの教会の牧師が聖書を片手に「カミっさまはあ〜、郵政民営化に反対しておられます〜。愛と平和、そして自由と平等〜、貧富の格差のない、みんなが楽しく仲良く暮らせるニッポンを作りましょう〜」と、政治をしている様を・・・汗。

今後の政局を見るポイントは、どうなると誰が得し、こうなると誰が損をするか、そしてその「誰」と「誰」は誰なのか。面白い展開となることは確かである。