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教会の成熟

昨日は御巣鷹特番があちこちであった。実はBBSで紹介したリンク先には事故現場の生々しい写真もある。これを見るとき、人の生のはかなさを覚えると同時に、こういった不条理に対して、教界がほとんど関与し得ていないことを感じる。「私たちの不条理はイエスの究極の不条理で飲み尽される」という理屈は語り得ても、本音を言えば、被害者の方々を受け止め、かつそこでイエスを証しすることはきわめて難しい。彼らに何をどう語るのか・・・。

ところがニッポンキリスト教の中ではそれぞれの教勢を競い、紅貧らに酔っぱらい、弟子訓練だ、幸せを得るセミナーだと忙しいようだが、この世との関わりにおいて、特に8・12のような事態に対して、その苦しみや重荷を共有し、関わることにおいてはほとんど無力、否無関心であるような感じがする。もっと言うと見ようとしていないというか・・・。

ニッポンキリスト教という閉鎖空間でのリバイバル音頭の一人芝居を見させられているようだが、おそらく真のいのちの成熟はこういった世の悲惨との関わりにおいて証明されるのだろう。イエスの十字架は私たちが満たされて、恵まれるためにではなく、むしろ彼らのためにあったはずなのだから・・・。