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そしる者の舌に対して

■トマス・ア・ケンピスの言葉:
わが子よ、人があなたを悪く思い、聞きたくない言葉を言っても、気にしてはいけない。・・・もし内なる生活を送るならば、過ぎ行く言葉にあまり心をとめないであろう。わざわいの時には沈黙し、心の内であなた自身をわたしに向け、人の判断によってわずらわされることのないのは少なからぬ知恵である。

あなたの平安を他人の言葉においててはならない。人があなたを批評してよく言おうと悪く言おうと、あなたの人柄が変わるわけがない。真の栄光はどこにあるのか。わたしのうちにあるのではないか。

人を喜ばすことを求めず、また人の意にさからうことを恐れぬ者は、多くの平安を受ける。みだりな愛とむなしい恐れとからは、あらゆる心の不安と精神の錯乱が起こるものである。

アップロードファイル 98KB■ダビデの祈り:
主よ、わがうちを探り、傷ついた道のあるかないかを探り、永遠のいのちの道に導いてください。

わが救いはどこから来るのだろうか。わが救いは天地を造られた主から来る。

Commented by Luke 2005年10月31日(月)12:07

今回kamekameさんがエライ目に遭われたとのことで、ふと上の言葉を思い起こしたわけですが、では、クリスチャンはいつも沈黙すべきかとお尋ねを受けました。私は線引きがあると思います。

イロイロな誹謗中傷を受け、ニッポンキリスト教界で評判を貶められることは、別に実害はありません。このギョウカイは私とはあまり関わりのない世界です。

しかし実社会において生活権を脅かされる場合、例えば今回のkamekameさんがもし警察の介入を受けていたら、これは社会性を抹殺されるリスクもあるわけです。そのような場合はしかるべき対応をすべきでしょう。パウロが皇帝に訴えたのも、そのような場面でした。

私も前に触れた某団体の長から脅迫状めいたものを職場に送り付けられた時には臨戦態勢を取りました。まあ、相手方が腰砕けで大事には至りませんでしたが。実際私自身も8年越しの裁判も経験しましたし(もちろん実質勝訴的和解でしたが)、これは当然の権利です。

しかし、こう見るとニッポンキリスト教業界は、少なくとも私にとっては、ある種のヴァーチャルな世界なのですね。

Commented by 通行人A 2005年10月31日(月)17:12

神様から与えられたものの中で、ことばは
本当にpowerfulなものですが、
いつも「親切で、塩味のきいた」ことばを
語り続けることが出来るように
(当然の権利を行使することも含めて)
それには神様との交わりで喜びで満たされている
ことが前提なのかなと、あらためて思わさせられました。
先週、つらい内容(悪意のことではないですよ)のことを聞かされたんですが、
自分の本来の性格では出来ない(!)のに、
いつの間にか相手の方を慰め励ますようなことばを
かけていた・・・という経験をしたばかりですが、
あらためて主に感謝します。

P.S バイブルカレッジのオンライン化、楽しみに
しております。