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解決の道は?

ある方から下の記事を見てショックを受けたとメールをいただきました。どうしたらよいのか、と。

これらの人格障害や精神疾患は何故生じるかと言いますと、学問的にはイロイロ説明ができますが、聖書的には「自らの体・魂・霊の必要を自分の手段(=肉)で満たそうとする試み」なんです。この心のヤリクリが症状だったり、苦悩だったりするのです。神から分離された人類の宿命です。

よって解決はひとつです。「自らの体・魂・霊の必要をキリストにあって満たすこと」。つまり自分の心のヤリクリをしないこと、です。神がヤリクリして下さるのですから(1ペテロ5:7)。これが信仰です。ところが今のニッポンキリスト教は、このような信仰を何も教えていない。クリスチャンになった後、何をどうして、どうやって生きていけばよいのか分からなくなるわけ。むしろクリスチャンにならなかった方が、ソレまでの生き方で自然で楽だったのにと。つまり、かえって苦しくなるわけ。

で、野心のある牧師たちは伝道・奉仕・献金と煽り、聖会だ、油注ぎだとバタバタするから、その下にいる人たちは一時も落ち着けない。信徒たちも自分の信仰で歩めないから、あっちのセンセイ、こっちの聖会と・・・。これで満足や喜びがあるでしょうか?

はっきり言いましょう。今のニッポンキリスト教で表に出ている先生たちのかなり多くが、自分自身の問題を抱えています。その自分の問題(野心も含めて)の解決のために、教会運営や伝道に燃えたり、ベニヒンだのに仕えたり、トロントだのペンサコラだのに詣でるのです。

自分の日々の普通の生活に満足し、そこで主イエスを楽しみに、人生をエンジョイしている人がそんな疲れることをする必要はありません。主は今ココにおられるのです!そのキリストが私のすべての必要の満たしとなって下さっているのです。あなたには何か欠乏しているものがありますか?私たちはキリストにあって満ち満ちているのです!(コロサイ2:10)

注:オンライン・カレッジの「御霊による霊的成長コース」で、このキリストにある充足を説いています。成長するためには満足が必要です。「ニッポンキリスト教的聖化」などは苦悩を生むだけです。