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アッパレQちゃん

もうダメかと思っていました。年齢も33歳。引き際をわきわまえた方が・・・と今朝まで思っていました。

立派ですね。2年前に負けた坂の前からスパートをかけると。「あの坂に負けたくないという気持ちは持っていた。自分自身の思い出との戦いだった」と。

女々しいクリチャンたち特有の自己憐憫の一片もない。人が悪い、人が自分に何した、あの人に傷つけられ、あの人に裏切られ・・・。自分を省みることができず、自分から脱することができない人々の群れ。

このジメジメ感がキョウカイの現状だが、Qちゃんの清々しさにホッとする感覚をいただいた。次のオリンピックでもう一度勝たせてあげたいと期待も膨らむ・・・。

Commented by はるえ 2005年11月21日(月)09:13

先日掲示板に書き込みした、はるえです。こんにちは。

>女々しいクリチャンたち特有の自己憐憫の一片もない。

私も彼女のインタビューをテレビで見て、同じことを感じました!ああいう女性が(男性でも)教会いると、それこそ「ここに救いがある」とノンクリスチャンも直感的に感じられるんではないですかねー。現状は、もっと暗くてジメジメして、顔が引きつってる人も多いですから、なんだかいるだけで血流が悪くなりそうですが・・・。

みなさん、「リバイバル」のためにアレコレ試行錯誤して信徒を増やそうとしていますが、なんだか無理してヘッドカウントを増やそうとしているだけに見えてしまいます。その前に、もうすでにクリスチャンになっている人たちが、本当に「救われる」信仰をもっているか、喜びを内側にもっているか、ということをよく吟味してみる必要があると思えてなりません。ヘッドカウントを増やすことがリバイバルだなんて、思えません。

きゃーすみません、また発散してしまいました♪
あまりにも共感してしまったので、つい(笑)

Commented by Luke 2005年11月21日(月)11:52

こんにちわ。

おっしゃるとおりですね。「リバイバル」の意味をはきちがえているわけで・・・。私的には牧師の野心としか見えないのです。ああ、またこれで異端だ・カルトだと言われるなあ〜。

私たちの歩みは、結局は人が云々ではなく、キリストと自分にどれだけ向き合うかなんですね。で、キリストは増加し、自分は減少するのが信仰です。ところが自分を肥大化したいセンセイたち、自分を憐れむ信徒たちの縺れ合い、右を向いても、左を見ても、と。いずれも幼児性の方々がかなり多いわけでして・・・。一般社会の率を超えますね。

いつもながらSalt氏がピッタリ表現して下さっています:
「長距離ランナーの孤独」
http://sakura.huua.com/cgi-bin/diary04/cdiary.cgi?room=ikemoto7