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偽造構造設計書

今回の事件は他人事ではないですね。文春の今週号によると、この姉歯という建築士はちょっとオツムがおかしいとの当事者の証言がある。あの髪の毛も偽造らしいが、それはともかくとして、強度を6-70%程度にするのはまだ理解できるが(イイと言っているのではないですよ)、30%で自然崩壊もあり得るとは、インチキをするにしても尋常ではない。確かにTVで観るアノ現実感と当事者意識の欠如は、何となくベールの向うにいる人の感じがする。それに一級建築士の自宅にしては、破れた窓がビニールで、ゴミも散乱しているらしい。

多分構造設計という分野は下積みのパッとしない役割で、コストダウンを迫られて、かなり抑圧されているのかもしれない。人は希望もなく、そのような環境に置かれると、やはり心を病む。本当は最も大切な役割なのだが、人はデザインとか、内装とか、衆目の注がれる部分の仕事を優先するのだろう。文春の記事では、エントランスが大理石で立派な物件は危ないと警鐘を鳴らしていた。キリスト教界も同じ。人の目に見える部分を大事にするセンセイは多いが、見えない土台にはあまり関心を払わない。偽造教会設計書に基づいた教会建造がなされていないといいのだが・・・。

ど根性野菜がアチコチで話題になっているが、植物の魅力は人が見ていようと、見ていまいと、そのいのちに従って、いのちの表現を発揮すること。いのちのポテンシャルに従った自然な生き方ができれば幸い。私たちはそのような自然ないのちを生きるために、絶えずキリストと言うまことの希望に目を置き続ける必要がある。