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民営化の限界

本日で駿台は終了。これで木曜日が空きます。受験生はこれから、私も大学の方は入試で忙しくなるわけ。一方で受験生を大学に入れる仕事を、他方で学生を取る仕事をしていますから、何だか不思議な立場ですね。で、医系予備校あたりでは、裏ルートなどもできてしまうことがあるとかないとか・・・。

審査をされる側とする側が共に同じ利害関係のベクトルを持つと、今般の建築設計書偽造事件になるわけです。この辺が民営化の難点でして、やはり国家でなくてはできない分野があるのです。

ところが再建主義では、(モーセ律法を採用しない)国家はすべからくヒューマニズムの権現ですから(よって、神に敵対する)、例えば、教育なども子供たちを国家に委ねるな、という発想になるのですね。自前でモーセ律法を叩き込むことが彼らの教育の目的です。これがホームスクールやチャーチスクールのルーツです。

しかし民営化で市場原理に基づいて自由競争する領域とそれをけん制する機関が必要なんですね。で、クリスチャンは国家のために祈ると・・・。そもそもこのような国家不要論的思想は果たして聖書的でしょうか?初期の兄弟姉妹はローマ帝国に服していましたよね?また、そうせよ、とパウロは命じています。当時のローマはモーセ律法を採用していましたか?私たちの信仰と良心を犯さない限り、私たちは国家に服するのです。

このように再建主義は「律法をすべての領域に適用せよ」と言いながら、もっとも本質な御言葉を自分が無視していることに気がついていない。「御霊に従えば律法の要求は満たされる」と書いてあるのに!?彼らは自己矛盾です。だから議論がもつれるわけ。しかもそれに気がついていない。病識の欠如は重症です。

すべての権威のルーツは神です。霊的にも、家庭的にも、社会的にも、適切な権威に服することは、私たちの健やかさにとってきわめて重要なファクターです。服していれば、自動的に油が垂れてくるのですから。

見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。