Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.11.30


流れるままに(14)

いのちにはいくつかの特質があります。自己組織化能力、自己維持能力、自己再生産能力などですが、もうひとつ大切な要素は、流れること、です。いのちは絶えず生々流転、ひとつところにとどまらず、さらさらと流れるのです。この流れがあるときいのちはつねに新鮮でいられるのです。仏教(特に禅)でも、およそ病とは心がとどまること、と喝破しています。流れが阻害され、ひとつのことに粘着し、それを絶えず思うとき、私たちの心は固くなり、霊のいのちの成長も阻害されます。ゆえに聖書は「今日と言う日に御言葉を聞いたなら、心をかたくなにしてはならい」と告げます。現代は自己の時代です。すべての価値基準が自己にあります。が、その自己に囚われれば囚われるほど、病むのです。最近の事件などは皆病んだ自己の兆候です。禅では自己放下を唱えます。道元も「仏道をならうとは自己を忘れ、心身脱落して、万法に証せらるることなり」と言います。私たちも自己の魂を否み、すなわち自己を離れて、いのちの御霊の法則に任せることです。このとき神と子羊の御座から流れるいのちの水が私たちの心の隅々に行き渡り、私たちを癒し、実を結ばせ、私たちを楽しませ、私たちを整えてくださるのです。これはすべていのちの自動性、自律性、自己再生産性に基づくのです。よって日常のことを送る中で自然といのちは成長し、実を結びます。自己を離れて、自分の業をやめて、主に任せましょう。健やかさが内側に満ちるようになるでしょう。 


<<週報メッセージアウトライン>>
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=いのちの流れ=

聖書:黙示録22:1−2;箴言4:23

@心の病気:(cf.ヘブル3:8,13;マタイ13:22;箴言4:23)
 「およそ病とは、心のとどまるをいふなり」(柳生但馬守『活人剣』)
 「仏法にては、この止まりて物に心の残ることを嫌い申し候。故に止まるを煩悩と  
 申し候」(沢庵『不動智神妙録』)
 「流水腐らず」(中国故事)
 「水は万境に従って転ず、転ずるところ実によく幽なり」(同)

A健やかさの特徴:さらさらと流れること→いのちは流れるもの;互いの間を行きめぐり、互いに交換し、互いに共有するもの(創世記2:10;出エジプト3:8)

B私たちの生きるエネルギーの源:神と子羊の御座から流れる水(黙示録22:1-2;ヨハネ6:33)

C鍵は自己放棄・自己放下
 ・佛道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自
  己をわするるといふは、萬法に證せらるるなり。萬法に證せらるるといふは、自己の身心
 および他己の身心をして脱落せしむるなり。(道元:『正法眼蔵−現成公案』)

 ・それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分
 の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失う
 が、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。(ルカ9:22-23)

●暗証聖句●

天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。