Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.08.31


流れるままに(1)

しばらく特にテーマを決めずに、思いつくまま、流れるままに語りたいと思います。よくニッポンキリスト教では神の意志を行うと称して、"みこころ"を捜し求めて疲れ果てる人々がおります。彼らは強迫神経症です。神の意志と人の意志は何か対立するものとして存在するのではありません。律法を与えられていない異邦人の良心にすら神の意志が書き込まれているのです。肉の意志は神の意志と対立しますが、元々神のかたちに創造された自然な人の良心は神のみこころの反映なのです。このことはルツ記やエステル記を読むとよく分かります。これらの書には神が直接に登場されません。そこに見られるのは人の意志と人の心の動きです。ここの登場人物たちはあたかも互いに互いを思いやり、互いを慈しみあっているだけでした。しかしこの人々の意志の関わり合いによってボアズは異邦の女ルツを迎え、その血筋から私たちの救い主イエスが生まれることになるのです。この物語の中において神は背後におられ、状況を摂理によって配剤されます。その神の舞台の上で人が互いを思いやり、慈しみ合うその関わりの物語が展開するのです。この中で実は神の意志が成就しています。私たちも同じです。私たちが神の意志を何か高邁にして手の届かない所にあるかのように求めるのではなく、私たちの心の中に書き込まれていることを知るとき、私たちはあえて神の意志を捜し求める強迫観念から解放されるでしょう。神の意志は私たちの心の中にあるのです。なぜなら私たちはキリストの思いを持っているからです。青い鳥症候群に陥らないように。神は意志は私たちの意志と綾なされ、私たちの生活において、ごく自然な摂理によって神のご計画が着々と成就しているのです。 


<<週報メッセージアウトライン>>
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=私たちの意志と神の意志=


聖書:ルツ記

(1)特徴:ルツ記はエステル記と共に、神が直接に出てこない書→人の意志を通して働く神の意志を人の物語として描く

(2)人の意志:1章8節;10節;11節;16節;18節;2章2節;5節;etc.

(3)人は神のかたちに造られ、人の良心には異邦人でも神の律法が書かれている(ローマ2:14,15;cf.詩篇147;19,20)→人の道は神の道(のはずだった)

(4)人の意志と神の意志の調和があれば、平安と喜びがある(ローマ8:6)→人の成長度合いによって異なる(自由裁量権=任されている領域の存在)

(5)私たちの生き方:委ねる・明け渡す(ヤコブ4:15)→自分の心とひとつ(cf.ヤコブ1:8)→キリストの思いが御霊によって私たちの心に反映する(1コリント2:16)→私たちの意思決定→言動とその実

(6)神の意志と人の意志が綾なされて、神の統治が実現する(ヘブル8:10;詩篇16:5-11)