Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.10.21

神の国の奥義(28)


律法学者とパリサイ人は姦淫の現場をつかまった女性を民衆の真ん中に立たせてイエスを試みました。彼らの動機は大衆サディズムによるものであり、今日も同じ事がなされています。「正しさ」の旗の下に、人が大衆の倒錯した欲求のためにいけにえとされているのです。時代はヒーローを求めると同時に、犠牲の供え物を狙っています。イエスはそのためにほふられました。まことのヒーローはイエスであり、またまことの犠牲の供え物もイエスでした。しかし人々は、クリスチャンたちですらも、別のそれらを求めているようです。しかしイエスはその挑発に乗ることはなく、人の心に書かれた良心に訴えました。そもそもイエスは律法に勝る存在であり、罪を裁き、赦すことのできる権威を持っている唯一の方です。彼らはその方を律法を盾にして試したのです。しかも執拗にそれをしました。これが大衆サディズムの偏執性です。彼らは律法の正しさを根拠にこのいのちの君を十字架につけました。今日も、クリスチャンの間においてすら「正しさ」を盾にして、まことのいのちを排除する事がなされるでしょう。なぜならアダムにある人は善と悪の価値観によって生きることを条件付けされているからです。いのちは善と悪を超える存在です。私たちはこの善と悪を超えて、まことのいのちを、いのちと御霊の法則によって生きるのです。今後世においてもキリスト教界においても、この「正しさ」を旗印に人間のサディズム傾向が露にされるでしょう。ますますただキリストだけに目を置きましょう。


<<週報メッセージアウトライン>>
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人となられた神L



■御言葉:ヨハネ8:1−11

@姦淫の女:律法学者・パリサイ人は女を民衆の真ん中に立たせる(1-3節)→大衆サディズムex.亀田一家(ヒーローから罪人へ)、ネットリンチなど
A罠=イエスが石打を命じれば赦しの使命に反するが、赦せば律法に反する(4-6節)
Bイエスの応答(7節)→外にある石の律法ではなく、心の律法(良心)に訴える(ローマ2:14-15)
C律法学者・パリサイ人のしつこさ=サディズムによる粘着性・偏執性(=強迫傾向)→イジメなどの原因
D罪を赦す権威を持つイエス(10-11節)→神の不等式:<イエス>>>律法>;私たちは何を最も大切にするのか?
E罪の赦しの根拠:御子を認めること(マタイ12:8;ヨハネ3:18;ヘブル7:28)
F律法との関係:律法は聖であり、それ自体よいもの(ローマ7:12;マタイ5:17)→こちらが死ぬことによって律法をまっとうし、律法から解かれる(ローマ7:4)
Gすべての鍵は死と復活の法則の主観的な適用



■暗証聖句
ヨハネ8:11 イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」


マタイ12:8 人の子は安息日の主なのである。

ヨハネ3:18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

ローマ7:4 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。

7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。