Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2005.03.06



いのちの務めP−御言葉を食べる−

私たちの得た霊のいのちを養うために御言葉を食べる必要があります。御言葉には二面性があります。ひとつはロゴスとして、客観的真理を説明し、解明するための媒体であり、ひとつはレーマとして、私たちのいのちまた霊となるための面です。理屈を知ることはひとつのことであり、いのちにあずかることはまたひとつのことです。自ら御言葉を開いて、御言葉を用いて祈り、また御言葉を自分自身に語ることが必要です。頭で理解することはあまりいのちの養いのためには益となりません。霊を用いて、御言葉に信仰を混ぜ合わせる時に、ロゴスなる御言葉はレーマとなり、それは霊であり、いのちとなるのです。御言葉が主観的に私たちの霊の中に語り込まれると、内側にグッと来る感覚が湧き上がり、何かが建て上げられ、何かが充溢する感覚を得ることができます。自分の置かれた環境がいかなるものであれ、内側には安息と満足が満ち溢れ、力が漲ることがわかります。御言葉がいのちとなったのです。私たちは頭を休める必要があります。善悪を知る知識の木の実を食べた人類は知性ですべてを解決しようとします。知性がいかに役に立たないかは歴史が証明しています。分かろうとする誘惑から解かれて、霊で受け止めて満足すること、いのちを得ることを求めましょう。そのうちに自然と分かるようになります。御言葉はいのちを蓄えている電池のようなものです。祈りつつ御言葉を味わう時、それは私たちの霊の中に霊的な電流が流れるようになるのです。



1.御言葉の二面性

@ロゴス:客観的真理を説明するための媒体としての御言葉

Aレーマ:個人個人に直接に語られるいのちであり、霊である御言葉

Bレーマ=霊=いのち=ロゴス+信仰(ヘブル4:2)


2.御言葉を祈る

@理解する努力をすることなく、御言葉を用いて単純に祈る

A聖書の御言葉が直接に語られると、内側にいのちが湧き上がり、何かが建て上げられる

B自分自身に御言葉を語ることを実行する→食べて満腹する(イザヤ55:1-3)


■暗証聖句:イザヤ55:10−11

雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。