Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2005.01.30



いのちの務めK−霊の浸透−

霊にはいろいろあります。この世の霊、偽りの霊、神の霊、また嫉妬や妬みや恨みや憎悪の霊などです。これらの霊に触れると自然とそれらが私たちの中に染み込んできます。ある主の霊に触れているうちに、自然と内側がその影響を受けて、魂の状態が混乱したり、もがいたりすることに気がつきます。この霊の働きは自動的であり、私たちは多かれ少なかれ、このような影響を被っています。そこで私たちはどのような霊にさらされているかが問題です。神の霊、キリストの霊、いのちの霊、安息の霊に浸るならば、自然とそれらが染み込んできて、私たちの魂も安らぎます。また御言葉の中には霊があり、それは霊的ないのちであり、御言葉に触れるときにそのいのちが私たちの中に伝達されます。霊といのちはひとつです。主は私があなたがたに話したことば(=レーマ)はいのちであり、霊である。人を生かすものは霊である、と言われました。このいのちのことばに触れ続けるうちに、私たちのうちに何かが立て上げられていきます。これが御霊によるいのちの務めです。大切なことは神の霊の浸透を受けるために、神の霊の流れに身を置く時間と機会を勝ち取ることです。霊の流れに浸るときには、もがきをやめて、明け渡しをもって、主に触れていただくことです。セレブレーションはそのような機会のひとつです。


1.霊の種類

@この世の霊(=幼稚な教え):ガラテヤ4:3,9;コロサイ2:8,20
A偽りの霊:人となったイエスを告白しない霊(1ヨハネ4:3)
B恐れの霊:奴隷とする霊(ローマ8:15)
C子とする霊:「アバ、父よ」と呼ぶ霊(同)
D神の霊:人となったイエスを告白する霊(1ヨハネ4:2)
Eその他、嫉妬の霊、妬みの霊、恨みの霊、競合心の霊など



2.霊に曝露すると霊は浸透する


@霊に触れると霊は染み込んで来る(=香りがつく)
A霊の中にいのちがあり、霊に浸るとき、いのちも注入される
B御言葉の中の霊に触れる→御言葉の中のいのちに与る
C自らの霊を用いる:祈り、賛美、分かち合い、声を上げる
D思いの中に篭らない



■暗証聖句:ローマ8:15−16

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。