Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.12.26



いのちの務めH―死と復活―

イエスは不思議な言葉を語ります:わたしの与えるパンとはわたしの肉である。<パン=肉>?これは受肉されたイエスの二面性を表わします。イエスは神の子羊として世の罪のための代償また宥めとして来られました。また天からのパンとしていのちを与えるために来られました。ここにイエスの死と復活を見ることができます。イエスの肉と血は分離され、私たちはパン裂きにおいて目に見える形でその霊的なリアリティに与ることができます。パン裂きはイエスの死を記念するものです。同時に私たちもその死に与る時、イエスの復活にも与るのです。イエスは身代わりであると同時に、私たちと同一視されます。イエスと共に裁かれ、すでに死んだ者は、同時にイエスと共に復活し、イエスによって生きるのです。ここに<肉=パン>という不思議な等式の奥義があります。イエスは私たちの内に住んでくださり、私たちもイエスの内に住むのです。こうして私たちはイエスによって生きるのです。イエスは私たちのいのちとして、私たちの内なるダイナモ(発電機)となり、私たちのエネルギー源としてなって下さいました。そこにスイッチを入れるのは私たちの信仰です。イエスの名を呼ぶとき、霊的イエスご自身が内に臨在され、私たちの内部から力があふれることを経験することができます。御言葉を食べ、祈り、賛美し、霊の歌を歌うとき、私たちの内部に霊的エネルギーが充電されます。かくして私たちは霊のパワーでパンパンに張ることができます。今年の主の恵みに感謝しつつ、さらにいのちのパンとしての主をエンジョイしましょう。


1.イエスの死と復活の意味

@罪の代償・宥めとして(代理・身代わり、ローマ4:25;ヘブル2:17)
A私たちとひとつになるため(同一視、ローマ6:3,4)
B復活の初穂→私たちもそれに続く(1コリント15:20)
Cキリストの経験は私の経験



2.イエスの死と復活におけるいのちの務め(ヨハネ6:51−59)

@私が与えるパンはわたしの肉→イエスの二面性は死と復活において矛盾なく成就する:肉=死、パン=復活(大麦のパンは初穂、レビ23:10)
A肉を食べ、血を飲む者の内にわたしは住まう→イエスの復活は単に肉体的なものだけでなく、霊的に私たちのうちに内住するため
Bクリスチャンはイエスによって生きる(cf.ガラテヤ2:20)
Cいのちを与える霊となった(1コリント15:45)



3.イエスの肉と血に与る

@パン裂き→見えない霊的リアリティの可視化
A信じること→御言葉を食べる、祈る、賛美する(コロサイ3:16)
B反芻する動物は清い(参照:54節の「食べる」は「(ガムを)噛む」の意味
Cイエスの肉と血は霊なるキリストにおいて経験され、享受することができる



■暗唱聖句:ヨハネ6:51,56-57

わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。