Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.12.19



いのちの務めG―受肉の奥義―

エデンの園においてはいのちの木と善悪の木があるのみでしたが、人が罪を犯して後、エデンの園を追われてからは肉食が許され、肉体のいのちを維持するために動物の血が流されるようになりました。かくして神のロゴスである神の御子が肉の様を取り、私たちの間に幕屋を張って下さったのです。イエスはあらゆる面で私たちと同一視され、病を知り、人間性の弱さを知ってくださいましたが、罪は犯すことがありませんでした。完全な犠牲の供え物として、完全に神にして完全なる人でした。人としてのイエスは血を持たれ、その血を流すことにより神と人の間の問題を解決し、交わりの障害を取り除いてくださり、さらに私たちの内側でいのちのパンとなってくださいます。子羊にしてかつ天のパンである人なるイエスこそ私たちを満腹し、渇くことがないよう、また終わりの日によみがえらせて下さるのです。ユダヤ人たちはイエスの外観しか見ませんでした。ヨセフの子としてのイエスです。しかしその内には神のいのちが宿っていました。私たちは肉の目を持ってイエスを知るのではなく、霊の目を持って、いのちなるキリストを享受する特権を持っているのです。条件はただ信じることです。信じるならば、イエスとの完全な一致に入ることができます。イエスが人の立場で勝ち取ってくださったものはすべて私たちのものとなるのです!


1.神が人になった

@イエスは神のロゴスが幕屋を張った存在(ヨハネ1:1,14)
Aイエスは肉の様を取ったが、罪(
Sin)は持たなかった(ローマ8:3;ヘブル4:15)
B私たちとあらゆる面で同じにされた(ヘブル2:17)
Cイエスも人間性の弱さを知っているゆえに、私たちに同情して下さる(ヘブル4:15)
D私たちの罪(
sins)と病を負い(イザヤ53章)、罪(Sin)とすらされた(2コリント5:21)
Eイエスは私たちの弱い人間性と完全に同一視された
F契約において、神の側と人の側を引き受けてくださった。



2.イエスの受肉におけるいのちの務め(ヨハネ6:32−50)

@イエスは世にいのち(Zoe)を与える天からのパン
Aイエスがパンであり、イエスに来る者は飢えることがなく、渇くこともない
B信じる者はイエスのところに来る者であり、イエスは彼らを受けれてくださる
Cイエスは父の御心を行った:それはいのちをあたえること、終わりの日のよみがえり
Dユダヤ人たちはイエスの外観しか見ていない(肉の目による)→霊の目によって見る
Eイエスのみが父を見た
Fいのちのパンを食べれば死ぬことがない



3.イエスの二面性

@イエスはいのちのパン→いのちの養いのため(血は含まれない)
Aイエスは神の子羊→贖いのため(血が含まれる)
Bエデンの園にはいのちの木があるのみで子羊はいないが、罪の後肉食が許され、神は受肉して子羊となった:私たちがいのちに与るために血の贖いが必要だから
C鍵は信じること(6:40,47)→
believe intoいのちの次元における結合イエスが回復し栄光化して下さった人間生活をエンジョイする!


■暗唱聖句:ヨハネ6:33,35

「神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」・・・イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。