Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.11.28



いのちの務めD―道徳からの解放―

神の道はいのちの道であり、道徳や倫理などによる道ではありません。それらは人間が自分を自分で統治するために考え出したもの(ヒューマニズム)に過ぎません。これらの杖に頼ろうとするならば、必ず束縛を受けるでしょう。自分で自分を支えようとする試みだからです。いわゆるキリスト教の文化や価値観から解放される必要があります。私たちはキリスト教の信者ではなく、キリストの信者であるのです。頼るのは「教」ではなく、「方」です。内側のいのちは神のいのちですから、神にふさわしい好みや性質を持っています。私たちは何かの客観的な価値判断によって生きるのではなく、この内側のいのちが喜ぶことを行えばよいのです。いのちが好むことを求めればよいのです。神の御心が分からないという人は外側の何かを求めてしまっています。今神の律法は内側に書かれており、それはいのちの律法(法則)であり、主観的に私たちに対してなすべきことを教えます。そしてそれを行うならば、内側のいのちは喜び、解放され、安息と平安が増し加わるのです。そのためにキリストからいただいた油が内側にあるのです。この油はすべてを教えます。それはいのちの感覚、油塗りの感覚、頭では疑問を覚えても、いのちが喜んでいれば、内側のエンジョイがあれば、それは神によって認知された証明です。いのちの感覚を豊かに育て、いのちをますます享受しましょう。


1.パタン化されたキリスト教

@クリスチャンのイメージに縛られている
Aキリスト教文化と価値観に縛られている
Bキリスト教信者とキリスト信者の違い


2.いのちの道と善悪の道

@アダムとエバは道徳で生きていなかった→価値判断を自分でしていない
A道徳や倫理はヒューマニズム→人間が自分で自分を統治する試み
B善悪の道からいのちの道への転機


3.いのちの感覚

@いのちには感覚がある
例:タバコの煙葉は嫌だ→繰り返すうちに感覚が消失する
Aいのちの求める感覚→いのちに応じて求めるものがある
・安息と平安
・喜びと楽しさ
・解放感と充実感
Bクリスチャンの病気:いのちのみずみずしい感覚の磨耗と欠如


4.内なる油塗りにとどまる

@御霊の内住:油塗りによりいのちを内側に拡大するため
Aキリストからいただいた油塗りがすべてを教える(1ヨハネ2:20-23)
B行動規範:善か悪かではなく、いのちが喜ぶことを行い、いのちが死ぬことを避ける
Cいのちの道にあれば内側のいのちがますます喜び、成長する。外れれば内側が暗く冷たくなり、しらけてしまう


■暗唱聖句:1ヨハネ2:24−28
あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。あなたがたのばあいは、キリストから受けた塗り油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。