Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2001.12.16


霊的リアリティの内に生きる

信仰とは意志的選択

私たちの人生は自分の意志によらず開始され、自分の意志によらず終わります。その間の人生は自分の意志と他人との関わりによって綾なされます。人生は不条理です。その不条理の中で傷を受け、あえいでいるのが人間です。しかし神は罪のない御子をあえて十字架にかけるという究極の不条理をなさいました。御子は自分の意志であらゆることをコントロールし得たのですが、自分を否んで父の御旨を行いました。それは私たちの人生をいったんクリアにし、新たな人生を建て上げるためです。私たちの意志の及ばない領域で神はすでにすべてを成し遂げて下さっています。この御業にどう応答するか、これが信仰であって、それは私たちの意志にかかっています。私たちの小さな意志決定の積み重ね、信仰と従順の積み重ねが、真理に従った新しい私を作り上げ、神の祝福を私のものとするのです。この意味で私たちは自分の口の実を得るのです。すべての人を偽りとしても神を真実とせよ、自己の魂を否み、十字架を負うとは、あらゆる自分の何かを主張するのではなく、いったんそれらを下ろして、神の言葉を聞き、それに応じることに他なりません。衣の房をつかみさえすればと考えた長血を患った女のように、あるいはイエスから「犬にパンを与えるのはよくない」と言われ、「主よ、お言葉どおりです。でも机の下の子犬もパンくずはいただきます。」と答えたツロの女のように、イエスに応答するのです。そのとき徐々に御言葉が実体化され、新たなキリストにある自分を発見して驚くことでしょう。神の無尽蔵の富を自分の経験とする鍵はここにあります。


1. 人のでき方―不条理

   ・ 自由意志によらない誕生と死

   ・ その間の人生は

    @意志によらない要因(親、兄弟、他人の影響など)

    A意志による要因(何をどう聞いて、信じるか、拒否するか)

     →実が結ぶ→刈り取り(ガラテヤ6:8,9)

   ・ この小さな選択の積み重ね


2. イエスの生き方―究極の不条理

   ・ 意志による誕生と死(マタイ26:18、ヨハネ2:4、7:6,8)

   ・ その間の人生は

    @ 自分の意志を行わないで父の意志を行う(ヨハネ5:19-21、14:24)

    A 呪いを受け、祝福を買い取って下さった(ガラテヤ3:13、エペソ1:3、1ペテロ2:24)


3. 私たちの不条理(ほぼ零)とイエスの不条理(無限大)

   ・ 私たちの不条理をキャンセルするすべての御業・手続き・過程は完了している→言い

    訳はできない(言い訳=自分を正しいとすること)


4. 私たちの責任

   ・ 御言葉を否むこと=神を否むこと=不信仰→肉の実を刈り取る

   ・ 自分を否み御言葉を取ること=神を栄光化する=信仰→御霊の実が結ぶ

   ・ すべての人を偽りとしても神を真実とせよ(ローマ3:3,4)


5. 行いの伴なう信仰(ヤコブ2:22,25)→神の祝福の実現化