人間とは



人は神の姿に似せて造られた被造物の一種であると聖書は啓示します。ですから人には愛をはじめとする諸々の徳があり、被造物の中でも人間にのみ許された尊厳を持っています。

しかし現在の世の中を見ても分かるとおり、人間は酷い罪をも犯す暗い性質を持っております。神はこのような暗い存在として人間を創造されたのでしょうか?違います。聖書ではその原因を人が罪を犯したからであると言っております。これについては次の「堕落とは?」で十分に触れます。

man.jpg神は人の体を土のチリから造られ、その鼻に命の息(=霊、Spirit)を吹き込まれると、人は生きた魂(Soul)となったと聖書では述べております(創世記2:7の直訳)。つまり、体、魂、霊をもつ存在として人間は造られました。この肉体的命をギリシャ語ではbiosと言い、それから現代の生物学(Biology)が派生し、魂のことをpsycheと言って、これから現代の心理学(Psychology)ができ、そして霊のことをpneumaと言いますが、これは空気とか息吹きの意味を持ちます。

肉体はこの世における物理的実在と接触し、それを意識します。は思い・意志・感情からなり、自己を意識します。そしてはもともと神を意識するためのものでしたが、堕落の後それは死んでいます。イエスを信じるならば、人はクリスチャン、すなわち再び霊が生かされた人(再生された人)とされ、霊的世界を意識できるようになります。霊の機能の詳細はこちらを参照。

当初造られたばかりの人はエデンの園にあって、無垢の状態で神との交わりの中であらゆる至福を享受して生きておりました。ところがサタン(悪魔)の化身である蛇の言葉に騙されて、神が食べてはいけないと言われた「善悪を知る知識の木の実」を食べてしまったのです。このため神により「命の木の実」から隔離された上、エデンの園を追放されて、自らの存在を自ら支えるために、知識を求め、自分の努力で食を得て、自分の策略を労して生きなくてはならない存在となってしまいました。

この自分の努力で生きるための作為がこの世で見られる様々の人の営みに他なりません。その営みが世の中を構成し、歴史として積み重ねられていくのです。そしてその歴史が人の罪の深さを証明しています。人は霊的に死に、そのため神との交わりから絶たれた存在へと堕してしまったからです。

(C)唐沢治

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