不況でも元気の出る秘訣



公認会計士 梅津 善一

■氏は梅津公認会計士事務所所長。本稿は1999年7月13日(火)、アイルモレ・コタにおけるインターナショナルVIPクラブ大阪の集会でのスピーチをまとめたものです。



1.はじめに

本日は、「不況でも元気の出る秘訣」というタイトルでお話させていただきます。先日、子供と話している時、「今年はえらい阪神が勝つなあ」というのが話題になりまして、かつてそうであったように、阪神が優勝すれば景気がよくなるのではないかと、非常に期待しております。だから、関西では、阪神が優勝するのも『元気が出る秘訣』の一つです。応援しているチームの優勝とかで、人間の気持ちががらっと変わるというのは、非常に大きいと思うのです。


2.不景気でも元気な会社−イトーヨーカ堂とソニー−

不景気でも元気のある会社をご紹介させていただきます。皆様もご存知と思いますが、イトーヨーカ堂という会社があります。ダイエーと対比される会社ですが、そこの鈴木社長は、「バブルにも踊らされずにやってきた。商人が不動産で儲けるのは邪道だ。商いで儲けていくんだ」と語っておられます。具体的な経営方針は、@設備は基本的に賃借とする。だから店舗出すのにも不動産を買わないで借りてやる、A売上より利益を重視する、B商品の絞込みをやる、Cアウトソーシング、すなわち外部委託を推進し、本業に特化して行く、というパタ−ンです。

不景気でも会社が利益を出していく要因はどこにあるのか、私も常々興味と関心を持っているところですが、もう1つイト−ヨ−カ堂と同様に優良企業として注目を集めているソニーのこともご紹介しておきたいと思います。ソニーの出井社長が、マーケッティング担当取締役部長をされていた1992年当時、ニューヨークで講演された内容の一部です。

「収穫逓減法則」、「収穫逓増の法則」というのは経済学ではおなじみの法則です。生産量が増えてくると、生産コストが下がり非常に利益が出てくる(収穫逓増)。しかし、ある時点から、生産量を増やそうとすると、それ以上にコストが増加して、利益が減少する局面になる(収穫逓減)。

企業が儲けるのは、収穫逓増が働いている段階である。すなわち、売上を増やせば相対的にコストが下がる、その段階で儲けが大きくなる。しかしながら、市場が成熟するに従い、生産力は供給過剰に転じ、販売についても、市場の成熟化、競争の激化とともに、プレミアム価格を維持することが難しくなってくる。これまで、ブランドイメージが高いことがプレミアム価格を可能とし、これがソニーの高収益の源泉であった。この循環が逆転すると、「パフォーマンスが悪い」⇒「ブランドイメージが落ちる」⇒「プレミアム価格取れない」、その結果、さらにパフォ−マンスが悪くなると言う悪循環に陥ってしまう。

ソニーの社長が言われているのは、この「ブランドイメージを高くする」、「会社として収穫逓増の局面に持って行く」ことの重要性です。最近では、ソニーのプレステーションとか、そういうデジタル関係の所謂ソフトと言われる関連で、いくら売上が増しても、大収穫逓減が働き難い産業、また企業が興って来ています。マイクロソフトもそうです。ソフトですから、新規の膨大な設備も不要で、売れれば売れる程どこまでいっても収穫逓増が働いて儲かってしまうという状況を形成して行くわけです。このような単なる物作りとは異なるものが最近多くなって来ているということを、ソニーの社長も指摘しておられます。

これは、先程のイトーヨーカ堂の社長が言っていた、「絞込み」と共通する点があると思います。つまり、自分の会社でやっている商品を収穫逓増の方向に絞り込んで行けば良いわけです。何の商売でも、始めは儲かっているが、どこかの時点で収穫逓減、すなわち費用の増加が売上の増加を上回る段階が来ます。その時に、社内の仕事の内容を分析して、外に出した方が社内コストより安くなるものは外部委託(アウトソーシング)していくわけです。


3.もうけの源泉は非代替性にある

収穫逓増、すなわち儲けの秘訣はどこにあるのか。経済学では 非代替性(代わりが効かない)ということが、収益の源泉であると教えています。つまり、代わりが効かないということは、儲けの重要な要素です。代わりが効かないということは、人がしないことをするということです。他社がやっていることはやらない、わが社だけができること、得意なことをやる、ということです。

ライバルが同じ物を供給してきた時に、わが社は何を供給すれば得意先が喜ぶのかと考えます。ライバルと同じ物では、代わりがあるので得意先は喜びません。ライバルと異なる商品を供給すれば、得意先は喜びます。あるいは、ライバルが1,000円で売っているの
であれば、わが社が500円で売れる仕組みを構築すれば、得意先は喜びます。

ソニーの社長が言っておられる、「プレミアム価格」、「ブランドイメージが高い」ということは、他社の製品に比べて、非代替性を維持していること、または、代わりが効かない製品であることと同じ意味だと思います。


4.人の真似をして過当競争になる日本企業

私は、山村で育ちましたから、良くわかるところがあるのです。山の中の田んぼでは、米作りが非常に難しいのです。そこでは、お金持ちは分限者(ぶげんしゃ)と言って、米作りが上手な人なのです。うちの田舎では「隣百姓」も米作りがうまくできます。分限者が田を植え始めると、「隣百姓」もそれに合わせて田植えをすると、やはり収穫が多くなるのです。ただ、この真似をするのもそう簡単なことではないのですが…。

これは、先に言ったこととは反対で、真似することにより収穫が殖えるケ−スです。日本人には、この隣百姓の習性、つまり、田植えの上手な人の真似することによって収穫を殖やして行くという思考パターンが染み付いているように思います。

アパレル業界でもそうですけど、良いデザインがでたらすぐ真似をして、コピー商品がいっぱい出てくる。どの業界でも大なり小なり、先発商品に追随して類似商品が出回ってきます。これが、少なくとも今までの日本企業の行動パターンであったように思います。

また、機関投資家と言われるような人達の投資運用の仕方を見ていますと、横並び運用が多いように思います。あの日本の経済社会に大きな傷跡を残して、今もその後遺症に苦しんでいるバブル経済の原因の一つも、「隣百姓」的な経済活動にあったと思います。

今までのような「隣百姓」的な行動パターンが効果的なのは、例えばA社100万台、B社200万台生産し、全体の需要が1000万台まで拡大していくことが予想されるマーケットにおいて、新規参入組の甲社が、A社とB社の良いところを真似して、早く・安く・大量に生産していくような状況の場合です。


5.元気な会社は真似をしない会社である

グローバルな技術移転と生産力の拡大下における大競争ということを考えた時に、外国の会社はどのような行動パターンを採るでしょうか。例えば、聖書の世界に出てくるような砂漠に近い草の少ない所で、相手も同じ場所へ家畜に草を食べさせに行った場合、方法は二つしかないわけです。

一つの方法は、相手を攻撃してその家畜を略奪してくる行動です。もう一つの方法は相手が行く場所へは行かないで、どこか別の草のある所を探す行動です。人と別の行動をとるということは、自分が生き残る方法であるし、収穫が殖える方法でもあるわけです。

現在は生産過剰の時代になってきています。つまり、限られた市場(上記の草)をめぐって多くの製品・サービスが大競争している時代になって来ているのです。このような時代には、限られた同じ製品やサービスの市場(草)の取り合いをするか、新しい製品やサービスの市場(草)を開拓するか、という二つの行動パターンが考えられます。二つの内一番儲かる方法は、他社ができない新しい製品やサービスを提供することです。それは、この時に、先程の「プレミアム価格」を取れる局面(収穫逓増の局面)のポジションにあるからです。

今元気な企業のほとんどは、他社の真似をしないで新しい独創性のある商品やサービスを提供して、顧客を喜ばせている会社です。つまり、他社があの製品やサービスを出して来るのであれば、うちはライバルとは別の製品・サービスを投入しようと考え、努力している会社です。

私達、個人にとっても同じではないでしょうか。例えば、会社の同僚がパソコンのエキスパートになっていった時に、自分も負けないでパソコンのプロになろうとするのが、一般的なパターンです。それに対して、「いや、私はパソコンが苦手だから、自分の得意なデザイン企画でプロになろう」というように、人の真似をしないで何か自分の特性を伸ばすような行動をとればいいのです。そうすれば、その人の非代替性が強くなり、その人は会社にとっても、あるいは地域社会にとっても存在価値のある人になって来るわけです。

私達一人一人は、かけがいのない大切な存在であることを、永遠のベストセラ−である聖書も教えています。“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している”、“Very Important Person in God Eyes”(イザヤ書43章4節)。すなわち、神の目には、すべての人がVIPなのです。神様は、私達一人一人を高価で尊い存在として、創造してくださったのです。ですから、私達は自分を他の人と比較するのではなく、人の真似をするのではなく、自分にできること、また得意なことを集中してやっていけばよいのです。

人間は他人の目が気になり、すぐに真似をしてしまうものです。特に日本人は先程も申し上げた通り、農耕民族であったという歴史的背景もあり、絶えず人を見て、人と同じような行動をするというパターンが染み付いているように思います。

私は、いろいろな方、特に多くの企業経営者とお会いするのですが、利益を上げている会社の社長(経営者)に共通していることが一つございます。それは良いことか、悪いことかよくわからないのですが、何か一つの事に集中するガンコさを持つという点です。どこか多少専門バカのようなところがあるのです。そこが、その社長にとって、他の人と違う非代替性であるように思います。

白洋舎という、日本で一番大きなクリーニング事業を営んでいる会社がありますが、創業者は五十嵐健治さんという方です。この方は比較的若くしてクリスチャンになられた方ですが、作家の三浦綾子さんが「夕あり朝あり」という題名で、この方の伝記を書いておられるのを読んだことがあります。

五十嵐健治さんは、日本においても近代クリ−ニング事業を始めるという大きな目標に向かって、不屈の精神で突き進んできました。ある時は、実験の最中に爆発を起こして半死状態になるというようなことも体験しました。しかし、諦めずに実験を続けました。そして、ついに明治39年に、東京日本橋において、日本で初めてのドライクリーニング業の開業に漕ぎ着けるのです。この五十嵐健治さんも、新しいことを始めた、今までになかったことを始めたという点において、正に代わりがないユニークな人です。 

このようなベンチャー精神を、経済発展理論で有名な経済学者シュムペーターは、「経済社会の発展」の原動力となる企業家精神のダイナニズムとして捉えております。その発展プロセスを、「新しい製品開発、新しい生産方式の導入、新しい販路の開拓、新しい資源の開拓、新しい組織形態の採用」といった5つの要素に分けており、「経済発展の新結合」と名付けています。全部 <新しい>という言葉が付いているのです。


6.新しい発想を妨げるものは何か

「新しい」…今まで無かったものであること。これは、実は簡単なようで非常に難しいことなのです。新しいことをするというのは、非常に難しい、できるようでできないのです。私達は、多かれ少なかれ、過去の経験、人の意見、常識とかいうものに大きく影響されているからです。

松下電器産業の創業者である松下幸之助さんが言われていたことで、鮮明に記憶していることがあります。それは、会社で優秀な技術者ほど、「NO、それはできません」と言うのだそうです。私は、それを読んで“ヘー?”と思いました。ここで「優秀な技術者」というのは、過去の経験や知識に関してのことであって、新しいことを創造していくという点においては、本当に優秀かどうかは疑問なのです。むしろ、たくさん蓄積された過去の知識が、かえって新しい発想の邪魔をしていることが多いのです。松下幸之助さんによると、優秀な人は、良く勉強もし、知識(知恵ではない)も豊富ですから、理路整然と、「NO。これこれこういう理由でできません」と言うのだそうです。

最近、新興宗教やその類のものに関連して、「マインドコントロール」という言葉がよく使われていますが、私達もある意味ではマインドコントロールされている、と言ってもよいのかもわかりません。過去の経験とか、人の意見とか、世間の一般常識にマインドコントロールされているということです。これは、私達の日常の生活面だけでなく、科学の世界でも同様と考えられます。 

私は徳島県の出身ですが、徳島県の阿南市に本社を置く、日亜化学工業という会社がございます。この会社は、中小企業ながら、世界で最初に「青色ダイオード発光体」の開発、実用化に成功した会社です。現在では、資本金29億円、従業員1,800人の大企業に成長し
ています。

この青色ダイオード発光体の成功のポイントは、ユニークでかつ不屈の精神を有する開発担当者(現在は米国の有名大学の教授に就任)の存在と、失敗するかもわからない研究開発に対する社長の深い理解(社内では反対する人も多かった)であったと思います。血の滲むような苦労の末、開発に成功したわけですが、ある意味では、中小企業だったから成功した、と言えるのかもわかりません。「青色」がいろいろな面で優れていることは周知の事実であり、日本有数の大企業も何回も試みましたが、実用化に全て失敗していました。大きな有用性があることがわかっていながら、「青色」はそれまで一度もできなかったわけです。「青色ダイオ−ド発光体」は、今までの科学知識からすると、全く常識外であったと言えます。それを、日亜化学工業は成し遂げたのです。

そこの開発担当者が、「開発の秘訣は、過去の科学文献を読まなかったこと」と言っておられたのを何かで読みましたが、松下幸之助さんの先の言葉、「優秀な科学者ほど…」に通じるものがあると思います。このように、私達は、過去の経験や常識にマインドコントロールされることがあるのです。

やはり私の田舎の笑い話ですが、そこでは周囲は山で囲まれているので、空は三角形なのです。ある時、そこの小さい子供がお父さんに連れられて、吉野川の見える平坦地に行きました。その時、「父ちゃん、広いなあ! ここは日本か?」と子供が尋ねたところ、お父さんは、「日本はこれの3倍あるんじゃ!」と答えたそうです。

これは、私達の経験からくる感覚です。私達がそういう過去の経験に支配されているマインドコントロールからいかに解放されるかが、新しいものを創造するための重要なポイントと言えます。


7.マインドの解放

ところが、常識、人の意見、過去の経験から解放されて、新しいことや人と違うことをするためには、強靱で特別な精神が必要です。これはなかなか難しいのです。私達は弱いですから、どうしても過去の経験に囚われたり、人の意見に影響されたり、人の真似をしてしまうのです。

白洋舎の五十嵐健治さんが、まだドライ・クリーニングに成功する以前に、ある人に騙されて一文無しになりました。すでにクリスチャンになっていた彼は、その時の心境を、三浦綾子著「夕あり朝あり」の中で、次のように語っています。 

不思議なことに、その夜は、次第に心が平安になっていった。それまでと違って、私はキリストの神に祈ることができた。聖書には、<神は一羽の雀(すずめ)さえ忘れ給わぬ>と書いてある。ましてや、人間の私を神は忘れ給わぬと思って、暗い木陰で私は一心に祈った。“全能の御神、私は今無一文で困っております。今夜泊まるところもありません。しかし、御神がすべてを備えてくださると信じます。どうか私の宿るべき家をお備え下さい。イエス・キリストの御名(みな)によってお祈り致します” 私は、そう繰り返し祈った。真剣に祈った。

そして、また歩き出しながら、『神はどのような形で祈りを聞いてくださるか』と思って、はなはだ楽しかった。『必ず祈りは聞かれるに違いない』、そう思って喜びさえ沸いてきた。すると、この窮地に陥れたAのことさえも、私に神が遣わしてくれた人間のように思えて、恨む思いも消えていった。

・・中略・・

仕事の斡旋を断られた私は、またもや、とぼとぼと歩き出すより仕方なかった。朝食をとったきりで、腹は空ききっている。金は一文も無い。監獄部屋から小樽まで逃げて来た時と、状況は全く同じであった。しかし、あの時は自殺しようとした私であったが、この時の私は、『主なる神よ、私を助け、導き賜え』と祈る余裕があった。『神は必ずこの祈りに応えてくださる』という確信があった。『どんな風に助けてくださるか』との期待があった。辛ければ辛いほど、どのような形で助けてくださるかが楽しみでならなかった。人間は、変わるものですなあ」

五十嵐健治さんがおかれた状況は、野垂れ死に寸前でした。この苦境の時における五十嵐健治さんのマインドは、私達が通常経験するマインドとは違う、非常に強いマインドでした。イエス・キリストを信じる信仰に基づいた、上より与えられたマインドです。その結果、過去に自殺しようとした時と同じ状況にもかかわらず、彼は、過去のマインドから解放されて自由になっているのです。そして、自殺を考えるどころか、平安と希望と喜びに溢れているのです。この五十嵐健治さんのマインドに、私達が固定観念から抜け出す重要なポイントがある、と思います。

後になって、五十嵐健治さんは、これから仕事をするのに、「お世話になった三越の商売敵にはならない」と心に決めたそうです。また、「人の嫌がる仕事であっても、人の利益になる仕事をしたかった」と言っておられます。それが、洗濯屋(クリーニング業)を始めるきっかけになったわけです。あの当時、洗濯屋というのは、人の垢を洗うということで、地位が低い仕事とみなされていましたが、そのような中で日本で最初のドライ・クリーニング業という、ユニークで素晴らしい偉業を成し遂げられたのです。

五十嵐健治さんが大好きな聖歌は、次の聖歌であったそうです。

♪ 聖歌710番<罪の世人らに> ♪

1番.罪の世人らに 救いの泉を 開きて救いを現わししイェスよ 
   檻より離れて 迷いし我をも 白くなしたまえ 聖き血潮にて
   (おり返し)雪よりも雪よりも 白くなしたまえ 聖き血潮にて


2番.わが罪のために 茨を頂き 十字架を背負いて 苦しみしイェスよ
   罪を悲しみて 来たれる我をば 白くなしたまえ 聖き血潮にて
   (おり返し) 


8.私の体験

私事で恐縮ですが、私の開業当時のことを少し申し上げたいと思います。私は、この仕事を始める時、私が会社と顧問契約をしたために、それまでの顧問の先生が辞めるようなことがないように祈りました。イエス様を信じる以前の私は、私の生活のために、すでに会社の顧問となられている先生から、顧問契約を容赦なく取っていくことは仕方がない、と思っていました。なぜなら、現在の顧問の先生に辞めてもらわないと、私はその会社の顧問にはなれない、と思っていたからです。

事務所を始める段になって、私のような新参者がどうやって仕事をしたら良いのか、すでにほとんどの会社には顧問の先生がおられるのに私に仕事が回って来るのかと、非常に不安になり悩みました。その時に、聖書から、次のようなみことばが次々に与えられました。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう(エレミヤ書29章11、12節)

見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ(イザヤ書43章19、20節)

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。…中略…。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります(マタイの福音書6章26〜34節)

あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです(ヨハネの福音書16章24節)

これらの聖書のみことばによって、私は、平安と希望と力と知恵が与えられました。私は、「人と違うことをしよう。だから顧問の先生がされないことをしよう。人が嫌がることをやろう。何か新しいことをやろう」という目標が与えられました。そのことによって、本当に大変でしたが、心は喜びと希望に満ちていました。難しい仕事の依頼がありますと、時々八方塞がりになり、落胆して諦めてしまいそうになります。しかし、聖書を読んで祈っていますと、不思議なことに解決の道が次々に与えられてきました。また、以前のように、疲れることがなくなりました。

そのうちに、難解な仕事、ややこしい仕事、トラブルになりそうな仕事、解決が難しそうな仕事の依頼が多くなってきました。そのような仕事を続けていくと、最初は難しい仕事であっても、2回、3回と繰り返す内に難問・珍問の事例が積み重なり、私にとってはいつの間にか普通の仕事になっていきました。難しいこと、わからないことをやって行くという過程で、私は非常に祝福されました。私の仕事の多くは、会社が抱えているその問題の解決だけを請負いますので、2年から3年の契約で仕事が終了します。したがって、会社におられる税務顧問の先生の顧問契約を私が横取りするというようなことは、特別な事情がない限りほとんど発生しないのです。問題解決の過程で、新規に会社を設立するケースもあり、この場合は、かえって顧問の先生の仕事が増えることにもなるのです。

私が相談業務させていただいた企業、契約をして問題の解決のお手伝いをさせていただいた関与先数は数百社にもなります。現在でも、百数十の関与先(ほとんどの場合、一つの関与先には数社の会社がぶら下がっている)を抱えています。私の事務所は、私と職員2人です。職員2人は、残業をしてはいけないことになっていますので、年間労働時間は1800時間弱になっていると思います。これは、普通の会計事務所の職員の労働時間と比較すると、関与先数の割には相当に少ないと思われます。

私は、イエス・キリストというお方(私の罪の身代わりとなって十字架で死んでくださり、三日目に墓から蘇られたお方)を私の救い主と信じて、神の前での「罪の赦し」と「永遠のいのち」をいただいてからは、平安と希望と喜びに満たされるようになりました。難しい仕事も難しく感じなくなりましたし、疲れることがなくなりました。仕事の心配で眠れないということも、ほとんどなくなりました。イエス・キリストを信じるまでは、仕事に疲れていました。また、眠れないことも多かったし、特に難しい問題に直面すると眠れませんでした。もうそのことが無くなったわけです。

疲れることがない。朝起きて寝るまで仕事をしていますけれど、あんまり疲れを感じない。これは、ある種のマインドの解放、過去の経験・固定観念という囚われからの解放の結果ではないか、と私は思っています。聖書にこういう個所があります。

そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします(ヨハネの福音書8章32節)

ですから、私達は、創造主なる神に立ち帰った時(真理を知った時)に、本当の自由が与えられるのです。人の真似をする必要もなく、人を羨ましく思うこともなく、過去の体験に囚われることもないのです。自由と喜びと平安と希望に満ち溢れるのです。そのような希望や喜びや力は、私自身の内から出て来たものではありません。真の希望・喜び・平安・力・自由は、上より来るものであって、神様が与えてくださるものです。なぜなら、私自身が自分の意志や力でこの地上に存在するようになったわけではなく、また、人間がこの地球や宇宙を創ったわけではないからです。このことについて、聖書にはこう書いてあります。

初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた(創世記1章1、2節)

あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない(イザヤ書40章28〜31節)


9.まとめ

私達がこの不景気な状況の中でも元気でいられる秘訣は、何よりも「マインドの解放」にあると思います。人がしない新しいことをする、これは、「マインドの解放」がないと、なかなか困難なことです。

先程の五十嵐健治さんのように、確かな揺るぐことがない、人間を超越した強いマインドから、自由な囚われのない発想やアイデアが出て来るのだ、と私は考えています。そして、マインドの解放があれば、新製品の開発、新技術の開発、発明、新しいビジネスの創造は決して不可能ではありません。それを実行なさっている方も、たくさんおられます。

本日は、「不景気でも元気が出る秘訣」というテーマで話をさせていただきました。皆様が、この世情にあって、過去の経験や常識に囚われることなく、平安と希望と喜びを持って、新しい心で元気に歩まれますように、心からお祈り申し上げます。


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