第11回 2000年の夢


1. 初夢で示されたもの

皆さんはどのような初夢をご覧になりましたか。私は、冷や汗をかくような初夢を見ました。団体の海外旅行に参加中の私たち夫婦が、添乗員の態度やホテルの施設が悪いからといって途中でキャンセルして、自分でホテルや飛行機の再予約をするために、髪を振り乱して奔走している姿でした。

昨年の夏、家族でパリとロンドンに行きました。その時の添乗員が、勉強不足で参加者を小馬鹿にしている様な人でさんざんでした。私は、「クリスチャンは人をさばかない」とばかりに、いかにも穏健そうにしていました。それでも、旅の終わりにアンケート用紙が配られたので、少しばかり自分の心の内を吐露して提出しました。実は、しっかりと心の中で添乗員をさばき、旅行社批判にまで及んでいたのです。

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。(中略)私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです(ローマ第7章18〜25節)


2. 2000年のビジョン

こんな風に新年早々、自分の罪を示されて朝のデボーションに入ると、新約聖書ルカの福音書第3章にある旧約聖書イザヤ書の引用部分に目が止まりました。

すべての谷はうずめられ、
すべての山と丘とは低くされ、
曲がった所はまっすぐになり、
でこぼこ道は平らになる。
こうして、あらゆる人が、
神の救いを見るようになる。

バブルの時に驕り高ぶっていた人々は、地獄を見て低くされました。自己中心的な考えから、曲がったことを平気で行っていた人も、今ではコンプライアンス・マニュアルを肌身離さず持ち歩くようになりました。こうした変化を目の当たりにすると、日本のリバイバルはすぐそこまで来ているような気がします。

私たちに今、必要なもの。それは、それぞれが与えられている職場、学校、家庭などの「荒野」へ聖霊に満たされて出て行き、そこで聖書に従った実際の歩みをすることです。

私たちは、しばしば職場で難解な問題に直面します。そうしたときに神から与えられた賜物を最大限に活しつつ、常にイエスさまの協力と導きを求める祈りをし続けること、これが、「荒野」で働くビジネスマンに対して聖書の神様が期待していることなのです。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです(ヨハネの福音書第15章5章)


3. 21世紀の自動車と人間

先日、英国で人工衛星を使うことにより、制限速度を超えた自動車のスピードを自動的に落とさせる新システムが発表されました。理性と常識に基づいた判断を重んじる気風の強い英国において、安全のためとはいえ車を人工衛星がコントロールするシステムが実用化されるかどうか、大いに注目されます。

私たち人間はどうなのでしょう。日本には古くから「お天道様は見てござる」ということばがありますが、聖書の神様は、私たちのすべてをご存知で、私たちの自由意志を尊重してくださり、私たちの中にお住みになり私たちを愛してくださっているのです。
聖書の詩篇139篇には、インマヌエルの神様を賛美した次のような詩があります。

主よ。あなたは私を探り、
私を知っておられます。
あなたこそは私のすわるのも、
立つのも知っておられ、
私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
私の道をことごとく知っておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に、
なんと主よ、あなたはそれを
ことごとく知っておられます。



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