第9回 AD2000年問題から学ぶ


1.コンピュータ2000年問題の所在

昨今、話題になっているこの問題を簡単にご説明すれば、1+1=2、2+1=3、……ときて、9+1=0という間違いをコンピュータが犯してしまうリスクと言えます。

コンピュータ開発コストを少しでも安くしようと、1990年を下二桁で90と表しました。1999年、すなわち99の次の年は、下二桁では00となり、これをコンピュータは2000年ではなく1900年と判断してしまうというものです。

1900年と言えば明治33年、あなたはこの年どこにいて、何をしていましたか。コンピュータがタイムトンネルの中を勝手にスリップし、水道、電気、ガスが供給されず電話も通じない。快適な空の旅や列車の旅が一つ間違えれば凶器になりかねないし、銀行に預けていた虎の子が迷子になって発見されない。このような事態が発生することが憂慮されているのです。

「人は、母体の産道から生まれるので脳の大きさが制約され、生命の年限もある。一方、コンピュータには大きさの制約がないし、知識が永続的に積み上げられていく。だから、いつか力関係が逆転してコンピュータが人間を支配するようになる。」といった警告が、心にぐさりと刺さります。


2.イースター島から得る教訓

先日、緊急時の備蓄リストを持って買物に行こうと家族で話し合いましたが、果たしてこれで十分なのか、文明の利器なしで何日生きられるのかと不安になりました。この問題は、「すべてコンピュータに任せておけば大丈夫だ」「あってあたりまえの社会」といった昨今の風潮への神の警鐘と受け止めるべきでしょう。

旧約聖書の箴言第14章12節に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」ということばがありますが、近代社会のキー指標である「合理性」を振りかざして納得してみたり、「緊急時への備え」と言ってオイルショックの時にトイレットペーパーを買い占めたというような、愚行を繰り返す自分を見直す必要があります。

同じような例を16世紀のイースター島で見ることができます。人口増加に伴い、燃料、家屋、生活用品を作るため。氏族間の争いを背景として権勢を誇るモアイ像の運搬用木材を得るため。といった具合に、漁網の素材となるカジノキという木を伐採し続け無くなってしまいました。さらに、残り少ない資源を求めた人々の争いが続いて社会が崩壊していった島。この島の状況は、地球の自給自足のシステムと本質は変わらないし、人間の浅はかさは今も変わりません。人間の歩むべき道は次の聖書箇所に示されているようです。

あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く(イザヤ書第30章21節)


3.AD2000年に大切なこと

Anno Domini すなわち、イエス・キリストが誕生して2000年まであと一ヶ月余り。聖書の神様、イエス・キリストが、「合理性一辺倒、コンピュータ万能といった人間の思い込みで歩んではならない。わたしのことばを聞け。」と、私たちに向かって叫んでおられるのです。

コンピュータといえば、シリコン(けい素)すなわち「岩石や砂の主成分」を想起させます。新約聖書マタイの福音書第7章24〜27節に、この「岩と砂」を用いたイエス・キリストのことばがあります。

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。

イエス・キリストという岩の上にあなたの愛情豊かな家庭を建て上げてください。その方法を詳しくお知りになりたい方は、お近くのイエス・キリストを神(救い主)としている教会や集会でお尋ねください。


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