第5回 山を動かす


1.困難な出来事

湯水のようにマネーが流れ、ゴルフ会員権を買いあさり、株式投資に異常な興味を示す。衣服も上から下までブランド品。犬までブランド指向。ロックフェラービルやゴッホの絵まで買いあさった日本企業。みんながお金に浮かれて踊り、明日の行方を考えませんでした。

そしてバブル経済の崩壊。これまでの常識がひっくり返されるような事態が次々に発生しました。山一證券や長銀・日債銀などの破綻を誰が予想したでしょうか。

そして今、破綻寸前の企業に対し、銀行が債権放棄する例がある。借りたお金を返さないで済むというのは、かつてなかったこと。銀行に債務免除してもらった企業は、生き残りをかけて必死にスリム化策を展開する。

私の現在の仕事は、病める企業の財務面の患部を切除する手術をし、術後のリハビリの側面支援をすることが中心です。忍耐を持って、望みを抱き、更生を期待する。これには大きな経済的負担が伴うので関係者の了解を得ることが必要です。関係者の合意形成に向けて必死になります。

こんなとき、新約聖書コリント人への手紙第一の10章13節が励ましとなります。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。


2.祈りは聞かれる

先日、私はある企業の財務面の手術をするにあたり、某銀行に協力を求めに行きました。話が大詰めになったところで、細部のところで双方の主張がぶつかって険悪なムードになりました。忍耐力と品性に乏しい私は、プッツンしました。「協力が得られないのなら手術はできない。」と、大きな声で言い、席を蹴りたい心境になりました。

それでも私は、「しばらくお祈りさせて欲しい。」と断り、その場で声を出さずに「神様助けてください。御心をお示しください。」と祈ることが出来ました。人事を尽くして天命に委ねる。やはりイエスさまが救ってくれました。祈り終わると、私の憤りは収まり平安が守られました。相手方はキョトンとした顔付きをしていましたが、全面協力姿勢に変わりました。

この時の話は、同席していた同僚が「どうなることかとハラハラドキドキ。でも金森さんが、いきなり祈り始めたときはびっくりした。」と言って、今では酒の魚になっています。

皆さんは山を動かしたことがありますか。

新約聖書のマルコによる福音書11章23節には、次のように書かれています:

だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

私は、これまでの銀行員生活の中で、とても自分には出来ないと、ギブアップしそうな大きな問題に何度も出くわしました。こうした時には、イエスさまに解決を求めて祈り続けます。祈り続けていく中で、解決策が示され、大きな山をいくつもいくつも動かしてきました。これが私への聖霊の働きです。


3.純真な心

新約聖書ヤコブの手紙3章17節に「上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」と、書いてあります。私の良いところは、いつも神様を見上げて心からお祈りできる純真なところで、周囲の友人からも、「悩んだ様子無し、単純で良いですね。」と言われています。孔子は「水清ければ魚棲まず」と言いましたが、旧約聖書のエゼキエル書47章9節には、次のように書かれています:

この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。

多くのビジネスマンが、この聖水に生きる毎日を過ごされるようお祈りします。


mbgy_a05.gif