第3回 ビジネスマンの献身


1.職場の嬉しい悲鳴とサタンの囁き

私が洗礼を授かったのは、45才。富士銀行恵比寿支店長の時でした。

当時の恵比寿は、ヨーロピアンスタイルの恵比寿ガーデンプレイスが完成する時期で、人、物、金、すべてがごった返していました。

私は、このような時期の業務戦略として、旧約聖書箴言10章5節の「夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。」とばかりに、業容拡大の最高のチャンスと判断しました。そして、転入して来られるお客さまを一手に呼び込み、山のように個人の口座開設申込書やマンション購入のローン申込書などが積み上がりました。「夏に働く蟻たちが、餌を運び過ぎて穴の入り口に溢れているようなものだ。」と思え、嬉しい悲鳴をあげていました。

そんな折、本部からの検査。整備状況が悪い、支店長以下役付者の管理不足と大目玉を食いました。私の心の中に、「マーケットの実態や今やるべきことを本部は何にも分かっちゃいない。『ベンチがアホだから』と言った元阪神タイガースのピッチャー江本氏の気持ちが分かる。」と、サタンが働きかけます。


2.聖書のことばに救われる

その時、新約聖書ローマ人への手紙13章1節の「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて神によって立てられたものです。」が思い出されました。

バビロンに捕囚されたダニエルはネブカデネザル王に「知恵と思慮」をもってよく仕えました。ただ、偶像崇拝に関わることについて徹底的に反抗したのです。私はこのようにダニエルを思い出して、この時の心の混乱状態を聖書の判断基準に従って整理することができました。そして「私のマーケット戦略によって整備未済の書類が発生したのだから私一人の責任、指摘された問題は早期に整備します。」と本部に説明して、謝罪しました。

もし、私にキリスト信仰がなかったら、上に立つ本部を恐れるだけで、謙遜さを忘れて、自分の力に頼った解決策を急ぐあまり、取り返しのつかない事になっていたと思います。

今振り返り、まがりなりにもその職責を果たせたとすれば

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます(ピリピ人への手紙4章6、7節)

に、支えられたからだと思います。


3.献身と懸身

ビジネスマンキリスト者から、自分の献身は如何にすべきか、今のままで良いのか、といった悩みをよく持ちかけられます。私も、献身について考えたことがありますが、果たして自分は本当に「献身」したいのか、懸命に自分の身を守り高めようと「懸身」になっているのではないか、と思わされました。

私には「おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい(コリント人への手紙第一の7章20節)が、素直に受け止められました。

信仰の中にビジネスが完全に吸収されると、ビジネスを通じていろいろなお客様と接する中で、イエス・キリストの恵みと救いの素晴らしさを自然と伝えられます。フルタイムの献身者・教職者では出来ないことです。

お客様のNさんから、マリアが処女懐胎したことやイエスの復活を信じるのかと、怪訝そうな顔付きで聞かれたことがあります。勿論、私の答えはイエス。その方とは、その後大いに話が弾み大変親しい関係になりました。

ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい(Uテサロニケ3章11、12)

今、自分に与えられている仕事を最大限に生かした「ビジネスマンフルタイム献身」に、引き続きチャレンジしたいと思います。


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