第2回 何故働くのか


1.働くことの意義

社会的には世のため人のため。個人的にはバブルに染まった白亜の殿堂らしきローン付き建売住宅に、愛車はクラウンに限ると気張ってみた。中三の長女が塾通いを続け、命がけで合格したミッションスクールの入学金と授業料に、愛妻の美しく見えるのだろう白壁化粧品に、愛犬マルチーズの好みのペットフードに、自分のためにはイエスさまのことを伝えるための交際費と伝道文書やトラクトに。このようなもののために、ビジネス街大手町まで片道90分の痛勤電車をものともせず、額に汗して働いているのです。皆さんと同じく、お家のため、小さな社会貢献のためです。

人は誰でも、自分は何故働くのかについて、時には空しさを覚え、悩み、考えています。

旧約聖書に「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(創世記2章15節)と、記されています。このように神は、天地創造のはじめからエデンの園において人が労働をするように決められました。だから、私たち人間は働くのです。実は、これが正解なのです。


2.平安を得る秘訣

また新約聖書エペソ人への手紙4章28節には「自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。」と、あります。

就職活動中の学生や入社したばかりの人から、「正しい仕事とはどんなものだろうか。」「こんな利潤追求型のやり方は正しいのだろうか。」といった悩みを聞かされます。確かに大事な問題です。

21世紀に向けて、多くのビジネスマンが新しい企業行動原理や企業規範・倫理を求めてさまよい歩いています。ビジネス書、西洋・東洋・日本の歴史書、未来科学書や最新の技術書等の書籍売上額は世界一。確かにこれらの本を読むことによって、過去の事例などから現在に適用すべきヒントを得ることができるとは思います。

しかしながら、残念なことに、私たちはこうしたアプローチでは全き確信は得られません。それらの中からは、何故働くのかという答えは見い出せないからです。答えは聖書に書かれています。聖書を読んで神さまに祈り求めれば、確信が湧いて来るのです。新約聖書の次のようなことばをご紹介します。

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい(Tコリント10章31節)

神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです(ピリピ3章14節)


3.キリストの大使

今、私たちの周囲にいるビジネスマンは、このような聖書からの答えを、私たちを通じて聞かされることを待っています。そして、聖書に基いて実際に働く私たちの姿を見て、生けるキリストに出会い、現実の混乱から脱出して日々の平安を得る秘訣を獲得するのです。キリストの大使であるビジネスマンキリスト者の責任は本当に重大です。

何故働くのか、何を目標として歩むのかについてお話ししてきましたが、私たちは人生の途中で、この指針を失いかけることがよくあります。私も度々、サタンから「これは正しい仕事と言えるのか、そんなやり方を神が喜ばれるのか。」といった惑わしを受けます。そんなときに、私を励ましてくれた聖書箇所は、次のようなものです。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っているのです(ローマ8章28節)

私たちビジネスマンの周囲には、昇給・昇格やボーナスの査定、肩書き、ポスト、勤務場所といった、現世的な目に見える誘惑でいっぱいです。誘惑に弱い自分を知り、いつもお互いに励まし合い、聖書から得られる知恵を用いて、確信を持って仕事を進めること、これが何よりも大事なのではないでしょうか。


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